とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 110 久保田早紀 〜 異邦人 1979 (高画質、最高音質)

2017-03-04 01:30:54 | 日記
突然出てきたこの不思議な唄にAは驚きました。なんと新鮮なことか。今までにはない歌詞。旅する異邦人。そうだ、誰もが異邦人なんだ。
久米 小百合が本名。本名でも活躍している。その曲の多さ。Aはこの歌手について無知だったことを恥ずかしく思いました。昭和にはこんな歌手もいたのです。

久保田早紀 〜 異邦人 1979 (高画質、最高音質)


久米 小百合(くめ さゆり、旧姓:久保田(くぼた)、 1958年5月11日 - )は、日本のキリスト教音楽家、日本バプテスト連盟加盟教会の教会員である。東京バプテスト神学校神学科修了。
シンガーソングライター、久保田 早紀(くぼた さき)としても、よく知られている。

1958年に東京都国立市で生まれる。
母親の意向で、4歳からクラシックピアノを習い始めた。本人はそれほど熱中できず、小学校高学年になると、日本のフォークソングや歌謡曲、ビートルズなどを好んで聴き演奏するようになり、中学生になると、母の許可を得てレッスンに通うのをやめる。
中学校の同級生男子3人組が、当時人気だった「ガロ」のコピーバンドを始めると、キーボード担当として誘われ、文化祭などで演奏を披露した。
松任谷由実や矢野顕子に憧れ、自作の曲を書き溜めていた。当時、父親が仕事でイランに赴いており、現地で人気の女性アーティストのカセットテープをよく買って来てくれていた。中近東独特のそれらの音楽を聴いていたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながった。

1979年に短大を卒業すると、その年のうちに三洋電機がタイアップに付いてデビューが決まる。
デビュー曲の候補には『白い朝』、『夢飛行』、『25時』の3曲があり、『白い朝』はゆったりとした感じの曲だった。三洋電機の意向により『白い朝』に決定した後、CM映像がアフガニスタンで撮影されたことや、当時流行していたエーゲ海・地中海などの異国情緒などが意識されて、歌詞・曲ともに大幅なアレンジが施された。そして最終的に、音楽プロデューサー・酒井政利の判断で『異邦人』と改題され、「久保田早紀」のアーティスト名で、1979年10月1日にレコードデビューした。なお、『異邦人』には「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付されている。
タイアップされたカラーテレビのCMが放送されるにつれ、そのオリエンタルで神秘的な曲調や歌声に注目が集まり、じわじわと売り上げを伸ばしてブレイク。12月13日に、「ザ・ベストテン」に第5位で初登場した際にはその美貌にも注目が集まる。12月27日には第1位を獲得、1980年1月17日まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後3月6日まで12週の長きにわたり連続ベストテン入りする大ヒットとなった。同年12月に発表したファーストアルバム『夢がたり』もヒットし、一躍話題のニューミュージック歌手となる。

シングル[久保田早紀名義分]

異邦人/夢飛行 (1979年10月1日)
25時/みせかけだけの優しさ (1980年4月21日)
九月の色/真夜中の散歩 (1980年9月1日)
オレンジ・エアメール・スペシャル/長い夜 (1981年4月21日)
レンズ・アイ/日本の子供達 (1981年8月26日)
ねがい/地球はコンサート・ホール (1982年5月21日)
愛の時代/ルシアン (1983年2月1日)
お友達/エルドラド (1984年3月23日)
ピアニッシモで…/夜の底は柔らかな幻 (1984年10月1日)(Wikiより)