とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

2012-02-05 22:59:43 | 日記







ボッティチェリ 春(プリマベーラ)(1477年-78年制作 フィレンツェ ウフィツィ美術館 )


 「ヴァーチャル絵画館」の解説を借用してこの絵を私なりに分析してみたい。
 テーマは春の到来それに伴う愛の物語である。
 右端のゼフュロスが抱きつこうとしているのはニンフのクロリスである。クロリスの口元から、花があふれ出てきている。クロリスは、ゼフュロスの手が触れると、フローラという花の女神に変身する。そのクロリスの左隣には、変身し終わった女神フローラが、今にも足を踏み出そうとしている。右の驚いている姿のニンフとその隣のフローラが同一のものであるということに気付くことは難しい。しかし、そこが鑑賞のポイントである。
 左側の三人の女性は「三美神」である。これは類似の画像がいくつかあるので理解しやすい。左の女神は「愛欲」、中央は「純潔」、右が「愛」の女神である。左の「愛欲」と中央の「純潔」は、互いに見つめあい、対立しあっている。右の「愛」が二人の仲を取り持っていると解説されている。
 左端には神の使いであるマーキュリー(ヘルメス)がいる。「右端のゼフュロスが暖かな愛の風を吹かし、神の世界に春をもたらすのに対し、マーキュリーがいることで人間と神の間に道を作ってくれて、人間界にも春の訪れを告げてくれる。」なるほど、旨い解説である。すると作品の題名は『春』であるが、内容は「愛の賛歌」である。
 ボッティチェリはこの絵にたくさんの花を描いた。この絵には40数種類、合計500本の植物が描かれているという。私がそれと分かる花もあれば、全く名前がわからないものもある。実に花盛りの森である。春の到来である。
 さて、このことを先日島根県立美術館で開催されている伊東深水展を見ていて思った。
 深水即美人画。という私のイメージが全く覆された。大作の屏風絵では老木の梅が描かれ、右双の右の端っこに少女が描かれていた。ダイナミックに描かれた梅の木がテーマであることは一目瞭然。自然描写への並々ならぬ情熱を感じさせられた。
 その梅の木が生えいてる地面には小さな春の植物が描かれていた。私はよくよく観察した。蕗のような葉っぱ、そうだ蕗の薹も描かれていた。そして枯れすすき、甘茶の木のような植物も描かれていた。その木は葉をほとんんど落としていた。そして、白梅。画面全体を覆っていた。すごい、深水は美人画だけではない。戦時中南方の島々に従軍絵師として転々としていたときもスケッチをくり返していた。そして、その画才の早熟さ。弱冠14歳にしてもう大家のような絵を描いていたのである。
 春、春。画狂の私は絵の美の世界を満喫した。

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