とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 34 南海大地震と父

2016-08-14 01:55:43 | 日記
南海大地震の記録(高知県)


Aは昭和1944年の生まれ。南海地震は1946年。ということは2歳。・・・ところがかすかにAは記憶しているのです。
 山陰の出雲地歩でも震度5はあったといいます。Aは父に毛布を頭からすっぽり被せられ、抱かれて2階から下りて行ったのです。その時父の手から滑り落ちそうになったかすかな記憶が不思議と残っているのです。嘘だろう。それは違う地震だよ。そういう声が聞こえてくるような気がします。いや、そうではないとAは思っています。父母の慌てようといったら尋常でありませんでした。必死に抱きかかえて守ってくれたような気がしているのです。その時の父母の恐怖が記憶の底にしみついているのだと思っています。
 この映像はそのときの両親の恐怖、子どもを必死で守ろうという覚悟、そういうものを裏付けているとAは信じています。
 




・・・・・・天災は忘れたころにやってくる。 


 


 Aはこの言葉は後で父から聞いたのです。父親はAに諭したのです。ですからきっと南海地震だったに違いありません。


 実は、Aはこのことに関連して、父親とともに歩んだ日々を、肩と手の触れ合う感覚を述べたかったのでした。
 全盲のAの父は仕事も健常者以上にこなしましたし、人のお世話もネットワークを生かしてし続けました。親戚のお世話、就職のお世話、縁談の仲介等々際限がありませんでした。
 出かけるときはバスや汽車がほとんどで、障害者手帳を見せると無料で乗せていただきました。しかし、歩く時は私の右肩に左手をかけて歩きました。Aはできるだけゆっくり、手が離れないように気を付けながら歩きました。Aは肩に触れる父親の手の感触を今でも忘れることはありません。
 ある有力者の年始会に行くと、「ああっ、よく来てくださった。さ、ここへ、ここへ」と言って歓迎され、一番の上座に座らせていただきました。Aはその隣り。Aは顔を赤くしながら座り、全く落ち着きませんでした。


・・・・・・天災は忘れたころにやってくる。


 天災ではなかったのですが、満50歳のときに肝硬変症で突然父親は亡くなりました。Aが23歳のときでした。莫大な借金を残して・・・。
 


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