とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 25 双子の歌手

2016-06-25 04:15:51 | 日記
 テレビを父が買ってくれて、毎日が楽しくなりました。特に双子姉妹の歌い手には目を輝かせて見入っていました。

こまどり姉妹 恋に拍手を 1965


1938年(昭和13年)2月16日、北海道厚岸郡厚岸町で炭鉱労働者をしている父親の双子として生まれた。家族は、その後樺太へ渡り、敗戦まで樺太で育つ。

太平洋戦争後は、極貧生活の中、帯広市や釧路市の炭坑町を転々とし、銭函でついに家賃が払えなくなり夜逃げ。大楽毛に移り住み、ここで姉妹は日銭を稼ぐために門付を始めた。

1951年(昭和26年)上京。東京都山谷の木賃宿に住み、父親に連れられ、三味線を片手に台東区浅草の飲食街を流すようになる。その頃スカウトを受け、1959年(昭和34年)、コロムビアに入社し「浅草姉妹」でデビュー。デビュー曲は当初「三味線姉妹」であったが、浅草を流していたという経歴から「浅草姉妹」へ変更となった。またデビュー当時の芸名は「並木栄子 並木葉子」だったがまもなく新たな芸名を一般公募、2人の意思で「こまどり姉妹」という名が選ばれた。

愛称は「演歌版ザ・ピーナッツ」。同じ双子のザ・ピーナッツとの交流は歌謡ジャンルが違っていたものの公私共に盛んであった。1960年(昭和35年)には、ザ・ピーナッツが「こまどりジョッキー」という番組の構成、出演を行っている。ただし、こまどり姉妹の方がザ・ピーナッツより3歳上である。

1961年(昭和36年)、NHK紅白歌合戦に初出場。ザ・ピーナッツに次いで紅白史上2組目の兄弟・姉妹での出場となった。紅白歌合戦にはこの年から7年連続で出場している。(Wikiより)

ザ・ピーナッツ「情熱の花」


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