とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 366 学生街の喫茶店 ガロ (1973)

2018-06-22 16:29:16 | 日記
このシリーズで以前にも取り上げた記憶があります。でも、再び・・・ということで・・・。「学生街の喫茶店」というタイトルがヒットの力となったと思います。当時の社会的な背景も影響していたとも思っています。

学生街の喫茶店 ガロ (1973)



ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した日本のフォークロックグループ。

概要

堀内護(愛称MARK)、日高富明(愛称TOMMY)、大野真澄(愛称VOCAL) の3人グループとしてデビュー。全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。

1973年に「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし一世を風靡した。
元々はCSN&Yやブレッドの影響下にあったバンドであり、それらのグループの楽曲もレパートリーに加えていたこともあり、卓越したコーラスワークとギターテクニックにより「和製CSN&Y」と称された。

近年は「ソフトロック」というジャンルにおいて、またアルバム『CIRCUS』『吟遊詩人』ではプログレッシブ・ロック的な、『三叉路』ではハード・ロック的なアプローチをしたこともあり、ロックバンドとしても再評価されている。
1976年に解散。


来歴

松崎しげるらと「ミルク」(ホットミルク)という名のGSバンドを組んでいた堀内と日高に大野が加わり1970年11月に結成。かまやつひろしのバックバンドを経て、新レーベル・マッシュルームレコードの第1回発売アーティストとして同レーベルと契約。プロデューサーはミッキー・カーチスが務めた。

1971年8月、岐阜県で開催された第3回全日本フォークジャンボリーに出演。同年10月、シングル「たんぽぽ」でデビュー。同年11月、アルバム『GARO』をリリース。

しかし、所属していたマッシュルームレコードは売上不振により窮地に追い込まれ、打開策としてレーベル内で一番売り上げの良かったガロに外部作家作品を歌わせてシングル・ヒットを狙った。

1972年、セカンドアルバム『GARO2』をリリース。同年6月、このアルバムから1曲目の「美しすぎて」をA面、3曲目の「学生街の喫茶店」をB面としたシングルがリリースされたが、当初はシングルチャート上位には登場しなかった。同年12月、サードアルバム『GARO3』をリリースしたが、それと前後して「美しすぎて」のB面「学生街の喫茶店」がラジオや有線放送のリクエストを集めるようになり、1973年2月19日付けのオリコンのシングルチャートで1位に浮上、4月2日付けのチャートまで7週連続1位という大ヒットとなった。これによりガロのテレビ等のマスコミ出演回数が飛躍的に増大したが、そのヒット期間中にボーカルの大野が入院、復帰するまで堀内と日高の2人だけでスケジュールをこなす事態が生じた。

「学生街の喫茶店」がヒットしている最中である1973年2月26日に横須賀市文化会館で催行されたコンサートがライブ収録され、5月にシングルとしてリリースされた「君の誕生日」と「散歩」の2曲(スタジオ録音)を追加したアルバム『GARO LIVE』が1973年6月にリリース。さらに同年、シングル曲の「ロマンス」を含むアルバム『GARO4』がリリースされた。 年末には第15回日本レコード大賞大衆賞、第6回日本有線大賞新人賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場した。

翌1974年にはコンセプトアルバム『CIRCUS』がリリースされるが、「学生街の喫茶店」に相当するヒットには至らなかった。
当時、「フォーク歌手はテレビ出演しない」という流れが一般的であったが、ガロのメンバーは、歌番組はもとより、『象印スターものまね大合戦』や芸能人バレーボール大会等のバラエティ番組にも出演し、物真似を披露したり、競技に参加するなど、当時のフォークロックグループとしては異質な活動をしていた。(「Wikipedia」より)