とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 363 氷雨  佳山明生 日野美歌

2018-06-18 15:34:44 | 日記
当時私はカラオケでこの唄をよく唄っていました。唄うとすぐに世界に入って行ける感じで分かりやすい曲だと思っていました。
1962年(昭和37年)12月21日生まれ、1982年12月に「氷雨」発表。ということは当時二十歳そこそこの年齢だった。それにしては貫禄ありますね。

氷雨  佳山明生 日野美歌


日野 美歌(ひの みか(本名同じ)、1962年(昭和37年)12月21日 - )は、日本の歌手。所属事務所は自身が設立した有限会社桜カフェ。株式会社テンダープロとも業務提携している。所属レコード会社は、日本コロムビア。血液型O型。


来歴

神奈川県鎌倉市出身。中学1年のとき、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』に挑戦し、林寛子のデビュー曲「ほほえみ」を歌った。しかし、合格ラインである250点にわずかに達せず、挑戦者全員(彼女を含めて7人)が失格だったため、司会者の萩本欽一から「バンザーイ、無しよ!」のギャグを受けた。

鎌倉市立玉縄中学校卒業。湘南学院高等学校卒業。
1982年4月25日に、テイチクより「私のあなた」でデビューした。同年12月に発表した「氷雨」(佳山明生らと競作)が大ヒットし、1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場した。また1986年、葵司朗とのデュエット曲「男と女のラブゲーム」(武田薬品工業「タケダ胃腸薬21」CMソングの競作)もヒットした。元々CM自体は武田鉄矢と芦川よしみが歌唱していたため日野は当初2人がシングルとして発売するのだろうと思っていたが所属レコード会社の諸事情があり(武田がレコード化を拒んだという話もある)発売しないということになってしまい急遽、葵司郎とのレコーディングの依頼が来てのシングルリリースであった。

2003年春、ライブイベント「Live Sakura Cafe」を開催。日野は同イベントを翌年以降も継続して開催している。また同年、作曲家・馬飼野康二の勧めにより、歌凛というペンネームで作詞活動も始め、同年8月20日「かけがえのないもの」(フジテレビ「金曜エンタテイメント」エンディングソングとして同年7月~9月放送)を歌凛の名前でのデビューシングルとしてコロムビアミュージックエンタテインメントからリリースする。同年10月、朋ちゃん&コロッケ(華原朋美&コロッケ)「ありがとね!」の作詞を歌凛として手掛けた。

2006年3月24日にフリーボードより、マキシシングル「桜が咲いた」、「夜曲」、「心の誓い」をリリース。デビューから25年間所属していた プロダクション尾木 から他社へ一時移籍、そして2008年独立し、自身が経営する個人事務所の有限会社桜カフェと、インディーズレーベルSakura Cafe Musicを設立し、自身でプロデュース活動を開始。以後、ジャンルに囚われない人の心根に息づく普遍的な歌の世界を目指している。

2009年6月17日Sakura Cafe Musicよりミニアルバム『横浜フォール・イン・ラブ』をリリース。同作は「ミュージック・マガジン」2010年1月号の「ベストアルバム2009」で歌謡曲、J-POP部門で第5位に選出された。2009年9月13日、横浜開港150周年を記念し横浜開港記念会館でコンサートを開催。

2010年3月3日 3曲入りマキシシングル「花吹雪」、「桜のワルツ」、「涙ひとつぶ」をリリース。
2014年4月より放送のアニメ「暴れん坊力士!!松太郎」にて主演声優の松平健とともに主題歌「ドスコイ人生」を歌う。また、アニメの主題歌を歌うのは初めて。
2017年、特攻隊の悲恋をテーマとした朗読劇、「遠き夏の日」とアコースティックライブを、東京と大阪で公演。2018年よりは、自身のライフワークとして、全国展開を開始。

佳山 明生(かやま あきお、1951年9月19日 - )は、日本の演歌歌手。本名:長谷 茂浩(はせ しげひろ)。1983年の大ヒット曲『氷雨』で知られている。函館観光大使。既婚。

経歴

北海道函館市出身。1970年に作曲家の古賀政男最後の門下生として師事する。1973年3月に那須高原でセミプロとして歌うときに、美輪明宏(当時の芸名は丸山明宏)から芸名の佳山 明生を名づけてもらい、1977年12月1日に『氷雨』でデビューを果たす。デビュー時のキャッチフレーズは「キャンペーンの星」。

『氷雨』は発売当初はヒットの兆しが見えず、以降に発売する曲もヒット曲と呼べるまでにはいかなかった。しかし、1983年に『氷雨』が大ヒットし、オリコンチャートTOP10や当時の人気歌番組「ザ・ベストテン」(TBS)にランクイン。そして、同年の「全日本有線放送大賞」ではグランプリ、「第25回日本レコード大賞」ではロングセラー賞を受賞した。

2004年に函館観光大使に就任した。
2014年3月6日放映の「木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜」(テレビ東京)に出演。

(「Wikipedia」より)


あちこち「SYOWA」 362 ロス・インディオス&シルヴィア 別れても好きな人 / LOS INDIOS&Silvia Wakaretemo Sukina Hito

2018-06-18 00:24:21 | 日記
この唄、学校の文化祭で同僚数名と生徒の前で唄いました。別れてもなお未練心を捨てきれない微妙な女ごごろを表現していて、心をくすぐられる気がします。・・・えっ、亡くなったんですか !!! ご冥福をお祈り申し上げます。

ロス・インディオス&シルヴィア 別れても好きな人 / LOS INDIOS&Silvia Wakaretemo Sukina Hito



『別れても好きな人』(わかれてもすきなひと)は、佐々木勉が作詞・作曲した日本のヒット・ソングである。


概説

本作のレコードはまず松平ケメ子盤が東芝音楽工業より発売され[1]、パープル・シャドウズ盤がそれに続いた[2]。ロス・インディオス盤は、男性ヴォーカル・バージョンが発売され、続いて男女のデュエットに編曲されたロス・インディオス&シルヴィア盤が大ヒットし、翌1980年に掛けてミリオン・セラーとなった。この時、歌詞の一部(地名)が変更されている。 また、同曲でロスインディオス&シルヴィアは1980年末の「第31回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。
シルヴィア没後にテレビ番組で本曲が披露されるときは、若手の女性歌手をゲストに迎えて披露される。


シルヴィア(本名:松田 理恵子(まつだ りえこ)、1958年3月21日 - 2010年11月28日)は、日本の歌手。


来歴

大阪府東大阪市の出身。血液型AB型。元実業団のバレーボール選手。大阪の佐川満男の店で歌っているところをスカウトされ、ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。ロス・インディオス&シルヴィアとして、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となる。その後も、ロス・インディオスと活動を共にしていたが、83年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。

ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳も歌う。

その後、東京プリンやエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。生前最後のレコードは「愛の街 稲城」(クラウンレコード)であり、友人であるシンガーソングライターの塚本正治より「唄」という楽曲を提供され、練習中だった。
2009年(平成21年)に精密検査の結果、肺癌であることが判明。2010年(平成22年)11月28日に東京都港区の病院で、長男である歌手の中山貴大に看取られ逝去した。52歳没。(「Wikipedia」より)