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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 331 柿の木坂の家 青木光一

2018-04-28 23:06:05 | 日記
日本にもいい唄がありました。この唄、温かい音調が心地よいです。子どものころよく唄いました。柿の木坂。どこにもありそうな風景ですね。それがいいのかもしれませんね。

柿の木坂の家 青木光一


青木 光一(あおき こういち、1926年2月17日 - )は、日本の歌手。日本歌手協会名誉会長。『柿の木坂の家』など、多くの大ヒットを飛ばし、人気アイドルとして昭和時代中期の日本歌謡界に君臨した。2018年92歳を迎えたが、日本歌謡界の重鎮として今もなお現役で活躍を続けている。佐賀県唐津市出身。青木はるみは実妹。元妻は同じく歌手の永田とよ子(3代目天中軒雲月)。

経歴

幼い頃満州奉天に渡る
1944年、奉天の旧制中学を卒業。奉天中央放送合唱団に入団、コーラスの指導をしていた米山正夫の指導を受ける。

1945年、関東軍に入隊、敗戦でシベリアに抑留される

1949年、シベリアから命からがら帰国

1950年、先に帰国していた米山正夫の推薦でコロムビアに入社。同年8月『若い嵐』で歌手デビュー

1953年、『元気でね、左様なら』でブレイク

1955年、『小島通いの郵便船』が大ヒット

1957年、『柿の木坂の家』が空前の大ヒット。同年、『二代目船長さん』でNHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦には計3回出場している。

1963年、隣の工場からの延焼で自宅が全焼

1999年、第40回日本レコード大賞功労賞を受賞

2004年、コロムビアミュージックエンタテインメントより『青木光一全曲集』をリリース

2005年8月3日、自宅が4人組のコロンビア人の襲撃をうけ、現金5万8000円と46万円相当の腕時計や商品券などを盗まれた(コロンビア人4人は9月14日に逮捕)。

2009年9月、妹のはるみが死去

この他に、1983年に日本歌手協会の理事として就任すると、1985年に常任理事、1995年に理事長、2003年に会長、2007年から2018年現在まで名誉会長に就任している。(「Wikipedia」より)