とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 265 GIGLIOLA CINQUETTI - NON HO L'ETÀ

2017-12-26 12:11:19 | 日記
このメロディーも忘れることができません。意味は分かりませんでした。容姿もこの度初めて見てびっくりしています。

GIGLIOLA CINQUETTI - NON HO L'ETÀ


ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti, 1947年12月20日 - )はイタリアのポピュラー音楽の歌手。イタリア・ヴェローナ出身。20ヶ月年上の姉がいる。

略歴

チンクェッティは、1963年のカストロカーロ新人コンテストで優勝。1964年、16歳の時にサンレモ音楽祭で夢みる想い (non ho l'età) を歌い優勝、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964 に同じ曲で臨み、イタリアからの出場者としては初の優勝を果たしたことにより一躍有名となった。またユーロビジョン・ソング・コンテスト勝者としては初めてUKトップ75にチャート・インした。1966年には愛は限りなく (Dio, come ti amo) が世界的ヒットとなった。当時、カンツォーネ・ブームの日本では、ボビー・ソロと共に本国イタリアを凌ぐ人気となり、日本語の録音も残している。

また、伊東ゆかり、弘田三枝子などの日本人歌手が彼女の曲をカヴァーしている。1979年に結婚、翌年二人の男の子の育児に専念するため引退してローマに転居した。その後、1989年のサンレモ音楽祭に出場を契機に完全に復帰、1990年にはデビュー25周年ツアーを欧州で行った。1991年、復帰後初のアルバム「Tuttintorno」を発売。以後も1993年に来日コンサート開催、95年「Giovane vecchio cuore」でのサンレモ出場など、積極的に活動した。

2017年11月18日(土)、19日(日)に、24年ぶりとなる来日公演が決定している。(於:川崎クラブチッタ)

夢みる想い

歌詞の日本語訳はここをご覧ください

イタリア代表のジリオラ・チンクェッティがイタリア語で歌った。それまでのイタリア代表の楽曲と同じように、この曲は同年のサンレモ音楽祭で優勝した曲であった。当時のチンクェッティは16歳で、後にベルゲンで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1986で「あこがれ(フランス語版)」を歌い優勝した当時自称15歳、実際には13歳であったサンドラ・キムに次ぐ、史上2晩目に若いユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝者である。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964では、「Oração」を歌ったポルトガル代表のアントニオ・カルバリオ(ポルトガル語版)の次、「Život je sklopio krug」を歌ったユーゴスラビア代表のサバフディン・クルト(英語版)の前である、12番目に登場した。投票結果は僅差であったが、この曲は49ポイントを獲得して出場16曲中の首位となった。

「夢みる想い」は、イタリアのみならず、ヨーロッパ大陸の他の国々、スカンディナヴィア、さらに全世界において、チンクェッティに相当の商業的成功をもたらし、様々な言語で、例えば英語版「This is My Prayer」、スペイン語版「No Tengo Edad」、フランス語版「Je suis à toi」、ドイツ語版「Luna nel blu」、日本語版「夢みる想い」が制作され、またさらに多くのアーティストたちによって、さらに多くの言語でのカバーが制作された。有名なブルガリアの歌手リリー・イヴァノヴァ(英語版)や、香港の歌手レベッカ・パン(英語版)(潘迪華)は、1964年のうちにこの曲をカバーした。

翌年のユーロビジョン・ソング・コンテスト1965で優勝したのは、ルクセンブルク代表として「夢見るシャンソン人形」を歌ったフランス・ギャルであった。
この年のイタリア代表は「Se piangi, se ridi」を歌ったボビー・ソロであった。

チンクェッティは、後にユーロビジョン・ソング・コンテスト1974にも出場し、「夢はめぐり来て(英語版)」を歌ってABBAの「恋のウォータールー」に次ぐ2位に入り、ローマで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1991では、トト・クトゥーニョとともに司会を担当した。1974年には、「夢はめぐり来て」の英語版「Go」が全英シングルチャートで8位まで上昇し、彼女が「ワン・ヒット・ワンダー」(一発屋)ではないことを証明した。(Wikiより)