とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 263 「朝日のあたる家 The House of the Rising Sun」アニマルズ、The Animals

2017-12-19 23:52:48 | 日記
ラジオで聴いていて心に絡みついてくる旋律が何とも息苦しいような気持ちにさせました。当時の私の気持ちをよく表していました。

「朝日のあたる家 The House of the Rising Sun」アニマルズ、The Animals


「朝日のあたる家」(あさひのあたるいえ、英: The House of the Rising Sun)は、アメリカ合衆国のトラディショナルなフォーク・ソング。Rising Sun Bluesと呼ばれることもある。娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌で、暗い情念に満ちた旋律によって注目された。"The House of the Rising Sun" とは、19世紀に実在した娼館、または刑務所のことを指すという説があるが、確証はない。「朝日楼」とも表記する。


起源と初期のバージョン

多くのトラディショナルなフォーク・バラードと同じく作者不詳であるが、1930年代には原型と見られる録音がいくつか残されている。現存最古のものはクラレンス・アシュレイ (Clarence "Tom" Ashley) らが1933年に録音しており、アシュレイはそれを祖父から教わったものだと述べている。また、アメリカ議会図書館のアーカイブ・オブ・アメリカン・フォーク・ソング (Archive of American Folk Song) の研究員アラン・ロマックスは、ジョージア・ターナー (Georgia Turner) という16才の少女が歌った "The Risin' Sun Blues" を1937年9月15日に録音、収集している。

その後、歌い継がれるうちに詞や曲調に変化が加えられ、ジョシュ・ホワイト(Josh White)などは元々メジャー調だったものを、マイナー調にアレンジしている。
1941年にウディ・ガスリー、1948年にレッドベリー、1960年にジョーン・バエズがレコーディングしており、デイヴ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)も1960年代初頭、ロマックスの音源に自らのアレンジを加え自身の重要なレパートリーとしていた。

ボブ・ディラン・バージョン

ボブ・ディランが、デビュー・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)の中でこの曲を取り上げ、真に迫ったボーカルが高く評価された。レコーディング以前の、クラブやコーヒー・ハウスで演奏していた時期からこの曲をレパートリーにしており、1961年9月の「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されたロバート・シェルトンによるコンサート・レビューでは、彼がこの曲を不明瞭な発声でうなったりすすり泣いたりしながら歌う様子が紹介されている。

後にアニマルズのバージョンがヒットすると、聴衆はディランにもアニマルズのようなアレンジで演奏することを求めたために、コンサートでこの曲を取り上げることを止めてしまった。しかし、ディラン本人はアニマルズのバージョンを大変気に入っており、彼がロックサウンドを導入するきっかけの一つになったという。

ディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)の中で、デイヴ・ヴァン・ロンクがインタビューに答え、この曲をレコーディングするつもりであったのだが、ディランがその編曲アレンジをロンクからコピーし、先にレコーディングされてしまった、と発言している(ロンクも、すぐ後に自身のアルバムに収録)。

アニマルズ・バージョン

アニマルズは、1964年6月にシングルとしてリリース。プロデューサーはミッキー・モスト。同年9月にビルボードのヒットチャートで3週連続1位になり、イギリス、スウェーデン、カナダのチャートでも1位を記録した。日本の『ミュージック・マンスリー』誌に掲載されていた洋楽チャートでは、最高位2位を記録した。

1999年にグラミーの殿堂(Grammy Hall of Fame)入りを果たし、2004年には『ローリング・ストーン』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で122位となった。ロックの殿堂の「ロックン・ロールの歴史500曲(500 Songs that Shaped Rock and Roll)」の1曲にも選出されている。

原曲の歌詞が女性から男性に代えられていることから、"The House of the Rising Sun" は刑務所もしくは少年院を指すと解釈されるようになった。アレンジは、エレクトリック・ギターのアルペジオが印象的なロック・アレンジで、「最初のフォーク・ロック」であるとも言われる。レコードのクレジットには、アレンジャーとしてアラン・プライスが記載されているが、これは他のメンバーの名前を書くスペースがなかったからだと、エリック・バードン(Eric Burdon)がインタビューで答えている。ディランのバージョンを基にしていると言われることが多いが、エリックによれば、この曲を初めて聴いたのは、ニューカッスルのクラブで、フォーク・シンガーのジョニー・ハンドル(Johnny Handle)が歌っていたものであるという。ただしデイヴ・ヴァン・ロンクのアレンジが完全に払拭されているともいえず、ロンクは自分のアレンジを基にしていると主張している。

フリジッド・ピンク・バージョン

デトロイトを拠点とするバンド、フリジッド・ピンク(Frijid Pink)が1970年にシングルとしてリリース。「ビルボード Hot 100」でチャート最高7位、全英シングル・チャートで4位、カナダで3位、西ドイツで1位、ノルウェーで1位を記録した。1970年5月、RIAAよりゴールド・ディスクに認定されている。

サウンドは、サイケデリック・ミュージックのスタイルだが、メロディーは、ほぼアニマルズを踏襲している。(Wikiより)