橡の木の下で

俳句と共に

「小さな日記」令和元年『橡』5月号より

2019-04-26 10:43:10 | 俳句とエッセイ

 小さな日記       亜紀子

 

 これは暖冬が幸いしたのだろうか。玄関の鉢のシンビジウムを、昨年の花が終ったあと地植えにした。耐寒性の強い蘭とはいうものの、名古屋での露地栽培はなかば冒険の気もする。それが冬を越して、一茎ちゃんと今年の花をつけた。葉陰から葡萄茶がかった蕾が首を出している。細かな心配りの下手な私は、鉢物はどんどん地に下ろすので時に失敗もある。どうやらシンビジウムは大丈夫そうだ。それから日を経ぬ朝、今度はあっと目を見張る。春蘭が咲いている。仄かなオレンジ色、確か「曙」の名がついていた。子供達と春休みのドライブで和歌山の南方熊楠記念館へ行った道すがら買い求めた。帰宅してすぐフィージョアの根方に植えたものの、枯れはしないが一向に花咲かない。二十年は経っている。既に成人した子供達に告げると、旅行のことは断片しか記憶にないようだ。

 春蘭は種から育てるのが難しく、かつては山採りした野生種が株分けされて流通するのみであったらしい。現在では技術の進歩、自然保護の観点などから人工交配種も多く流通しているとのこと。我家の曙は二昔前のものなので、野生種かもしれない。長い時間かけて花茎を伸ばす条件が整ったのは希有なることと喜んでいると、橡集に次の句が送られてきた。

 

咲きました夫の残ししほくり花  鬼形かね子

 

 ほくりとは春蘭の別名。咲きましたの一言に驚きと喜びが聞こえてくる。ご主人が残していかれてからどれくらいの時を経ているのか。季節が一巡りして迎えた春か、あるいは我家の春蘭のように長い空白があったのか。いずれにせよ上五にいたく共感を覚え、これも暖冬のせいかもしれぬと勝手に想像している。 

 毎月毎月人さまの句を拝見し、自分も句を詠み、俳句というのは私的日記に限りなく近いところにあるとつくづく感じる。それも五七五に収まるだけのほんの一コマ。願わくばその一コマの生まれる背景の、もっとずっと長く広い時間をも読者に感じてもらえるように詠みたいが、凡なる自分には叶わぬところ。

 日記といえば野上弥生子の戦前、戦中、戦後にわたる膨大な日記がある。子供達が少し大きくなった頃、付添いの待ち時間というのが結構あって、その間に図書館から借りては読んだ。時系列的な記事はもちろん、日記同様に彼女の日課であった読書の評や、社会時評や人物評、そして内省。多岐にわたって包み飾らぬ思索の道筋と人間探索の跡が見える。弥生子らしい文体にいつの間に引き込まれた。これだけの読み物を、私的日記として数十年間ほぼ毎日、家庭人であった弥生子が書き続けたことは驚き。アスリートが身体を鍛えるように、日記は文章修練、思考鍛錬の方法だったのだろうか。そのために日々の時間をやりくりしていたのではと思う。一筋の道を極めようとする人の凄さ。ものを極めた人も我々と何ら変わりのない日常がある筈だが、到達したところが尋常ではない。図書館通いをしなくなって久しく、弥生子日記読みも中断してしまった。これを書きながら是非また読みたいという思いが湧いてきた。

 凡凡人としては「行きづまって嘆く人、漠然と行きづまりを感じながらもあまり気にせずに眼前、身辺の句を楽しむ人、この二通りが俳人の通り相場でしょう。後者が大多数ですが、今度のは相当いいと思って出句しているのが私たちの現状です。つまり私もふくめて九割以上は下手の横好きなのです。むずかしくて、中々うまくゆかぬから面白いのです。これが遊びの値打なのです。」(俳句入門のために)という星眠先生の言葉が救いだ。少し角度を変えて永遠の素人と言い換えてみる。素人ゆえの幸せがある。俳句と日常生活とどちらを選びますかと問われたら、私は胸に手を当てて、迷わず日常が優先と答えるだろう。しかし現実には大切な日常から俳句が生まれ、大切な日常を支えてくれているのが俳句で、二つを切り離すのは不自然である。小さな日記を綴るための小さな俳句という形を遺してくれた先人が有り難い。

 


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選後鑑賞令和元年「橡」5月号より

2019-04-26 10:39:02 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞  亜紀子

 

北窓を開くや赤城一望に    小菅さと子

 

 上毛三山の一つ、赤城山は日本百名山にも数えられている。いくつかの火山の集合体であるが、その裾野は広々とのびやかに展開している。掲句、ひと冬塞がれていた窓に望む山にはまだ冬の名残りがある。しかし、いささか閉じ込められていたような心が、今せいせいと開放される。

 

岨に摘む蓬香のたつ西行忌   鈴木乘風

 

 如月の花の下、釈迦入滅の日に死にたいと歌った西行はそのとおりの生涯を終えた。西行忌というと、当たり前に桜の花が連想されるのだが、緑美しく芳しい蓬の若葉の掲句を読むと、西行忌は春そのものだということに気付かされる。岨道を行く作者は古の歌仙の旅を偲んだようだ。

 

小火鉢を寄せて御朱印書き始む 小野いずみ

 

 三月東京例会の日の小吟行会の折、代々木八幡には若い女性のグループが目立った。どうもご朱印目当ての娘さんたちのようだった。聞けば昨今ブームで、御朱印ガールと呼ばれるそうだ。吟行に参加していた方によると、ご近所の、且つては閑散としていた名もなき神社もそうしたガールで賑わうようになったという。場所によっては押印、墨書の済んでいる紙をいただくところもあるそうだが、掲句は社務所内で職員が手ずから墨書、押印している。余り大きくはない神社のようだ。小火鉢を寄せてという描写が、畳敷きの小暗い社務所の様子、神妙に待っている参拝者の様子も伝えてくれる。

 

音立てて椋鳥散らす楝の実   甲斐田武子

 

 食べ物の少ない晩秋から冬にかけて、梢に残る楝の実は椋鳥に好まれる。群れでやってきて、実の核をばらばらと落していく。毎年舗道に撒き散らされた種を見るが、実際に食みこぼしているところに遭遇したことはなかった。あの大きな種だから、確かに大きな音もするだろうと掲句に納得。

 

水掛不動まとふ衣に風光る   中村文子

 

 厳冬期のお不動様には氷の剣があったろう。春風の今、石の衣さえ軽やかに翻る。おりからお掛けする水も陽光に煌めく。良い季節到来。

 

裏川に鴨の来てをり流れ行く  小松鈴子

 

 家裏の小川の鴨は、帰る旅の道すがら寄って行ったのだろうか。流れに任せて下っていって、もう上へは戻って来ないかもしれない。鴨は冬の季語であるが、何と言う理由もなく掲句に春の寂しさを感じる。以前家族が遠い郊外の病院に入院した折りのこと。毎日通った道の、畑の中の住宅裏の小流れにコガモが来ていた。やはり季節的には帰り支度の頃だった。掲句を読むにあたり個人的な経験が結びついてしまうのかもしれないが、それよりも「裏川」「流れ行く」の語が自分の経験した思いを引き寄せたということかもしれない。

 

春愁や母の遺愛の帽幾つ    はせ淑子

 

 遺された母上愛用の帽子。春帽子の幾つかのように思える。形見としてご自分が被られるのだろうか。ただ眺めているだけかもしれない。人が身につけていたものには、いっそう深い思い出がある。春愁の季語が率直に響く。

 

春炬燵立ちて用向忘れたる   野口輝雄

 

 ああ、私にもあるあると共感。春炬燵が利いている。

 

姉妹して嚔のカノン花粉症   倉橋章子

 

 嚔の輪唱。カノンと呼べば、花粉症も軽やか。


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令和元年「橡」5月号より

2019-04-26 10:35:16 | 星眠 季節の俳句

営巣期鴉声いよいよ愚かなる  星眠

            (青葉木菟より

 

 繁殖期の鴉は威嚇的になる。雛が孵れば、星眠先生の家裏の崖では親鴉のけたたましい声がしばしば。鳥も人も、子育ては愚かに必死。

              (亜紀子・脚注)


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草稿04/26

2019-04-26 10:29:58 | 一日一句

しこ草も我も春日を浴びてをり

神の庭いちやうの花に踏み場なし 

亜紀子


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草稿04/25

2019-04-25 10:22:07 | 一日一句

蕗青し母と皮むきしたる日も  亜紀子


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