橡の木の下で

俳句と共に

「巣鴉」平成30年『橡』5月号より

2018-04-27 11:30:02 | 俳句とエッセイ

 巣鴉    亜紀子

 

 山懐に可愛い目の七つ子を持っていると唄えば、鴉はいかにも牧歌的な鳥である。しかしながら、私の居るこの町内では完全に都市型の鳥類だ。ゴミの収集の朝は早くから電信棒に止って獲物のポリ袋を狙っている。どの家もゴミはぎりぎりまで手許に置いて、通りに車や人の往来が繁くなってから出すようにこころがけている。引越して来たばかりの頃はそれを知らず、早起きは三文の得とばかりに早々に出して清々した気になっていたら、近所の奥さんに鴉に気をつけてと教えられた。それぞれ工夫して黄色のネットをかぶせたり、箱に入れたりして対抗している。たまに狼藉もあるが、そんな時は誰ともなく後片付けをしているのは下町の良さで、鴉には真似できんだろうと思う。

 この春は小学生たちの通学路沿いの電信棒に巣がかけられた。それも数本おいて二ヶ所である。よほど居心地の良い、安全な場所と見える。ゴミ収集車の通り道でもあるし。歩道に夥しい木の枝が散っているのを訝しく思い、見上げたところ粗巣がかかっていた。その下で公営住宅の住人のおじさんが箒をかけている。鴉ですかねと聞くと、そうだと言う。子供達が通るから悪さをしなければ良いがとも。電力会社が巣落しをするかもしれない。

 別に鴉が憎いわけではない。むしろ、鴉には強い愛着を持っている。身近なだけに、他人とは思えない、人間に対すると同じような親愛の情が自然のうちに湧いてくる。悪声とも思われているだろう鴉は、季節ごとに声色、節回しが変わり、それぞれの時を教えてくれる。春は艶良く、子別れ時はひと騒ぎ、晩秋ともなれば物悲しいのは当たり前っぽいが、梅雨鴉の不思議に複雑な声は面白い。あれ、どこの誰が喋っているのだろうと、鳥の声とも思われぬのだ。そんな句を出した覚えがある。数年前、京都伏見の吟行の折、小沢チエ子さんがそのことに触れて、チエ子さんも鴉の声を聞くと他人とは思えないのだと話してくれた。京都でも鴉は街の鳥なのだろう。寺社の緑も多いから、塒にも困らないだろう。もう久しくチエ子さんにお目にかからない。鴉の唄が変わるとき、いつも思い出される。

 チエ子さんは平成十三年三月に青啄木鳥集の同人になられた。それからの六年間の平成十八年二月までの作品を浚って、鴉の句を探してみた。二十数句、これは多いと言える。その半分ほどを紹介しよう。

 

嵯峨狂言釈迦に鴉の笑ひ声

鴉の子木の芽流しに前のめり

歌好きの鴉に山の栗笑ふ

烏の子返事みじかし小町寺

サファリパーク虎の餌を捕る鴉の子

花火師や子鴉さわぐ火薬詰め

大寒や空に鴉の一騎打ち

盂蘭盆や木蔭にいくつ鴉の目

葉ざくらや夕べ鴉の声濡れて

子ら去りて鴉が替る水あそび

昨日より別れ鴉のこゑ聴かず

 

 いずれも活き活き生きている鴉たち。嵯峨狂言の句は後に自句自解の文章が載り、釈迦も美人には弱いという筋の伝統狂言に寺庭の樹上鴉も呵々大笑したように聞えたとある。チエ子さんが鴉になっている。盂蘭盆会の句には「語り合ふことも老い先吊忍」の句が続き、鴉が覗き聞きしている話がしのばれる。

 いつも傍にあって見慣れているものは親しい。知らぬ間に情が移る。観察が行き届いているので、ちょっとした違いに目が向く。平面的な観察ではない。否、観察という言葉はもはや相応しくない。対象と自己との間の交わりである。相手をよく見るには見ている自己の内面も見つめる必要がある。相手が見えてこそ自分が見え、自分が見えてこそ相手がさらに深く見えてくる。心と心の行き交いがある。端的に言えば、それは愛情というものだろう。

 星眠先生も愛情を持って鴉を詠んでいる。

 

営巣期鴉声いよいよ愚かなる

名乗りつつ天地俯仰の寒鴉

風荒れて鴉浮沈の斑雪山

黒南風の鳶を深追ひ親鴉

 

たくさんあるけれど、紙面尽きた。 

 


選後鑑賞平成30年「橡」5月号より

2018-04-27 10:53:49 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子

 

榛の木の雄花真紅に春立てり  斎藤博文

 

 

 まだ目覚めぬ早春の森。足許の落葉のしとねは斑雪に湿っているが、空の光は芽吹き前の梢に確実に季節の訪れを告げている。そんな風景のなかで、榛の木が誰より先に花を咲かせる。簪の飾りのような房を垂れるのが雄花。葉の出る前であるから遠くからでも目につく。赤く目立つのは房の蕾がまだ固い時期で、開花すると褐色が勝って見える。作者は肌で浅春の気を感じているようだ。

 ちなみに雄花の花柄の近くに小さく丸い、それこそ紅の雌花がつく。近くに寄って見ないと気が付かぬ。俳人は観察者だから、作者も雌雄の違いを念頭に、あえて雄花と詠んだのだろうか。単に榛の花と詠んでも、普通は雄花の房を指すだろう。そう言われてみれば私は雌花の方は詳しく見た記憶がない。私の知る雌花は、秋、小粒の松かさ様の実になった姿だ。榛は水辺を好む。水田の畦に稲架木として植えられた所以。市内の植物園ではビオトープの池のある付近に植えられている。

 

春疾風鴉吹かるる湯殿口    和田寿

 

 霊峰出羽三山の一つ、湯殿山。

 

湯殿山詣蜂も蜻蛉も素足なる  星眠

 

星眠先生の詠んだのは秋気澄む良き日和だった。掲句は春荒れ。飛ぶ鳥も吹き戻される。お山の頂きは吹雪か。修験の登山道は生易しいものではないだろうから、こんな時の山は人を拒んでいるのかもしれない。作者は神の山の折々の表情に精通しているようだ。

 

田の神の翁顔なりげんげ咲く  松井しづ

 

 紫雲英咲く春が巡って来た。お山の神様は里へ下りていらして、米作りの人々を見守ってくださる。その神さまはお爺さんのお顔とは、何とはなしに想像できる。神様はお顔を見せないという話も聞くが、果たして昔から伝わる神像があるのだろうか。子供の頃、田起しの前は肥料用の紫雲英が一面に咲いていた。げんげの語に郷愁しきり。

 

お城下や燕こぞりて巣を組めり 岡田まり子

 

 城下の春。渡り来た燕が巣をかけることのできる古き良き町並を思い浮かべる。燕も昔なじみのようである。こぞりての語がお城に仕えた人々の様を彷彿させる。

 

練兵場ありしは昔囀れり    勝部豊子

 

 都内の練兵場跡はと調べてみると、日比谷練兵場(日比谷公園)、代々木練兵場(代々木公園)、青山練兵場(明治神宮外苑)、駒場練兵場(世田谷公園周辺、陸上自衛隊三宿駐屯地)とあった。なるほど、かつては軍人養成の厳しい訓練の場が、今は緑の憩いの場。小鳥たちの囀りの森となっている。願わくば、この時間の流れの道筋を忘れずに、囀よとこしえに。

 

啓蟄やいつしか齢忘れをり   佐藤多美野

 

 若い頃は自分の誕生日は特別で、自分の年齢を忘れることなど考えられもしなかった。それが五十を過ぎた頃から、自分がいくつなのか、あらっとど忘れしたり、曖昧になって勘違いしたりするようになった。掲句の作者はもはや忘れて、すなわち気にもせず、過ごすようになったと言うのだろう。啓蟄、土中の生き物が目を覚ます。季節の巡りには敏い作者である。啓蟄の句としては異色、意表をつかれるが、共感を覚えることしきりである。