橡の木の下で

俳句と共に

草稿12/26

2017-12-26 08:21:32 | 一日一句

ロゼットは地の王冠よ冬を耐へ  亜紀子

 


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草稿12/25

2017-12-25 10:11:24 | 一日一句

北風鳴る夜我が心ただ太くあれ  亜紀子

 


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草稿12/24

2017-12-24 10:00:31 | 一日一句

路地塞ぎをるは餅つく集ひなり  亜紀子

 


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「葛枯る」平成30年『橡』1月号より

2017-12-24 09:56:30 | 俳句とエッセイ

 葛枯る    亜紀子

 

葛枯るる山峡に名の吟醸酒

杉襖無言の冬が立つてをり

野路菊の坂のつづきに山城址

大綿や池のほとりに小半日

舌鳴らしポニー調教木の実降る

黄落や子らもポニーも前倣へ

暖房車紳士やにはに鼻すすり

手ばなしで紅葉散るちるプラタナス

風の爪鳴るや閉ぢたる北窓に

蠅虎のひよいと出てくる羽ぶとん

冬雲のひとつ重しのごとくあり

無垢の身を葉うらに寄する冬の蝶

一輪の色濃に咲ける冬薔薇

葬り山小春もみぢの別れあり

柊のにほひほのかに過ぐる日々

 

 


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「朝顔」平成30年『橡』1月号より

2017-12-24 09:53:19 | 俳句とエッセイ

  朝顔       亜紀子

 

 霜月の朝顔の鉢。茶色の蔓も葉っぱの残骸もかさかさと風に鳴って、採り入れようと思っていた種はどれも貧弱、数もない。夏から秋の遅くまで、葡萄茶色の大きな花をいくつも開いていた同じ鉢には見えない。

 原田幹事長から送っていただいた入谷鬼子母神朝顔市の一鉢「團十郎」。二代目市川團十郎が歌舞伎「暫」で用いた衣装の葡萄茶色にちなむ命名だそうだ。朝顔といえば紺や赤ばかりが馴染みの目に、葡萄茶の渋い色合いが何ともいえない。朝開き、夕方になる前にはしぼんでしまう。しぼむそばから花がらを摘む。それも種を作らぬよう花弁だけでなく子房から摘みとる。余分な養分を種子形成のために使わず、体力温存、いつまでも大輪の花を咲かせるためである。毎日毎日水やりと花がら摘みを怠らず実践。次々と咲く花を堪能して過ごした。

 「恐れ入谷の鬼子母神」は母の好きな地口の一つだった。子どもの私たちにちょっとびっくりすることがあると口にするのだが、何だかよく分からない。分からないなり自分も真似していた。母の父親、すなわち私の祖父はいかにもお江戸の人で、短気、「ひ」の音と「し」の音を入れ替えて発音、しかも吃音があって話す時の出だしの「ひ、し」にはことに苦労していた。そしてまた潔癖な人だった。「おじいさんの癇癪」は恐れられていた。毎夏朝顔市で鉢を買って、二階の窓の下、一階の屋根の日当たりの良いところに置いてあったが、なかなか開かぬ紺色の花にしびれを切らし、自分の手で畳まれた花弁を無理やり開いてしまうというので皆が苦笑していた。この祖父の気質は私の中にも、私の子どもたちにも形を変えて流れているように思えてならない。私が小学四年生の頃に亡くなり、いまは面影さえ茫として、あの朝顔の家もとうの昔に消えてしまった。

 子どもたちは小学校で毎年植物を栽培して観察する課題をもらった。朝顔は定番、ほかにオクラや綿、等々。一学期の間に育て、夏休み中は自宅に持ち帰り観察日記を付ける。クラスの何人かはこの休み中に枯らしてしまうのだった。上の子は集団登校に入れず毎朝自転車で送って行った。二人乗りで出て行くと、ご近所のおばさんが重役出勤だねえと笑って見送ってくれた。夏休み前には娘と課題の鉢とを荷台に載せて持ち帰った。

 その子が学校にあがる前のこと、YMCAの運営する幼稚園に通っていたのでクリスマスは大きな行事だった。一ヶ月前になるとアドベント(待降節)を祝い、アドベントクランツという蝋燭に火を点す。その折りに園児たちが唄った歌。

 

 私は小さい火 光りましょう

 私は小さい火 光りましょう

 光れ、光れ、光れ

 

娘は江戸っ子ではないのだが、幼児期に多い間違いらしく、この「光れ」の「ひ」の音を「し」と発音して歌っていた。娘の歌を聞いた私の姉、すなわち伯母さんが「おっ、江戸弁だね。」と声を掛けたところ、娘はすかさず「違うわよ。アドベントよ。」と返して後で大笑いになった。

 何だかんだとありながらいつの間に月日は過ぎている。凸凹しながらもその時その時を越えて来た。あれこれ思い出そうとしても、大方は忘却の彼方。思い出せるすべては、思い出しているこの今のこの時に凝縮された長さでしかない。一炊の夢とはこのことかと思う。振り返った時には、どんな人生もその長さに大差はなく、いずれ儚い人の世ということなのか。いや、そんな筈はない。振り返って一炊の夢に過ぎぬのなら、逆に今在るここを悔いなく生きよということだ。この今を越えるべく全力を傾けよということだ。

 暦の立秋の頃、そろそろ團十郎の種を残そうと思い、種採りのコツを花好きのご近所さんに聞いてみた。何とその人は毎年最初の頃の元気な花をいくつか種用に残しているという。大きく丈夫な花が、やはり良い種になるのだそうだ。ああ、当然だ。花がら摘みの几帳面さが災いしてしまった。


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