路地塞ぎをるは餅つく集ひなり 亜紀子
葛枯る 亜紀子
葛枯るる山峡に名の吟醸酒
杉襖無言の冬が立つてをり
野路菊の坂のつづきに山城址
大綿や池のほとりに小半日
舌鳴らしポニー調教木の実降る
黄落や子らもポニーも前倣へ
暖房車紳士やにはに鼻すすり
手ばなしで紅葉散るちるプラタナス
風の爪鳴るや閉ぢたる北窓に
蠅虎のひよいと出てくる羽ぶとん
冬雲のひとつ重しのごとくあり
無垢の身を葉うらに寄する冬の蝶
一輪の色濃に咲ける冬薔薇
葬り山小春もみぢの別れあり
柊のにほひほのかに過ぐる日々
朝顔 亜紀子
霜月の朝顔の鉢。茶色の蔓も葉っぱの残骸もかさかさと風に鳴って、採り入れようと思っていた種はどれも貧弱、数もない。夏から秋の遅くまで、葡萄茶色の大きな花をいくつも開いていた同じ鉢には見えない。
原田幹事長から送っていただいた入谷鬼子母神朝顔市の一鉢「團十郎」。二代目市川團十郎が歌舞伎「暫」で用いた衣装の葡萄茶色にちなむ命名だそうだ。朝顔といえば紺や赤ばかりが馴染みの目に、葡萄茶の渋い色合いが何ともいえない。朝開き、夕方になる前にはしぼんでしまう。しぼむそばから花がらを摘む。それも種を作らぬよう花弁だけでなく子房から摘みとる。余分な養分を種子形成のために使わず、体力温存、いつまでも大輪の花を咲かせるためである。毎日毎日水やりと花がら摘みを怠らず実践。次々と咲く花を堪能して過ごした。
「恐れ入谷の鬼子母神」は母の好きな地口の一つだった。子どもの私たちにちょっとびっくりすることがあると口にするのだが、何だかよく分からない。分からないなり自分も真似していた。母の父親、すなわち私の祖父はいかにもお江戸の人で、短気、「ひ」の音と「し」の音を入れ替えて発音、しかも吃音があって話す時の出だしの「ひ、し」にはことに苦労していた。そしてまた潔癖な人だった。「おじいさんの癇癪」は恐れられていた。毎夏朝顔市で鉢を買って、二階の窓の下、一階の屋根の日当たりの良いところに置いてあったが、なかなか開かぬ紺色の花にしびれを切らし、自分の手で畳まれた花弁を無理やり開いてしまうというので皆が苦笑していた。この祖父の気質は私の中にも、私の子どもたちにも形を変えて流れているように思えてならない。私が小学四年生の頃に亡くなり、いまは面影さえ茫として、あの朝顔の家もとうの昔に消えてしまった。
子どもたちは小学校で毎年植物を栽培して観察する課題をもらった。朝顔は定番、ほかにオクラや綿、等々。一学期の間に育て、夏休み中は自宅に持ち帰り観察日記を付ける。クラスの何人かはこの休み中に枯らしてしまうのだった。上の子は集団登校に入れず毎朝自転車で送って行った。二人乗りで出て行くと、ご近所のおばさんが重役出勤だねえと笑って見送ってくれた。夏休み前には娘と課題の鉢とを荷台に載せて持ち帰った。
その子が学校にあがる前のこと、YMCAの運営する幼稚園に通っていたのでクリスマスは大きな行事だった。一ヶ月前になるとアドベント(待降節)を祝い、アドベントクランツという蝋燭に火を点す。その折りに園児たちが唄った歌。
私は小さい火 光りましょう
私は小さい火 光りましょう
光れ、光れ、光れ
娘は江戸っ子ではないのだが、幼児期に多い間違いらしく、この「光れ」の「ひ」の音を「し」と発音して歌っていた。娘の歌を聞いた私の姉、すなわち伯母さんが「おっ、江戸弁だね。」と声を掛けたところ、娘はすかさず「違うわよ。アドベントよ。」と返して後で大笑いになった。
何だかんだとありながらいつの間に月日は過ぎている。凸凹しながらもその時その時を越えて来た。あれこれ思い出そうとしても、大方は忘却の彼方。思い出せるすべては、思い出しているこの今のこの時に凝縮された長さでしかない。一炊の夢とはこのことかと思う。振り返った時には、どんな人生もその長さに大差はなく、いずれ儚い人の世ということなのか。いや、そんな筈はない。振り返って一炊の夢に過ぎぬのなら、逆に今在るここを悔いなく生きよということだ。この今を越えるべく全力を傾けよということだ。
暦の立秋の頃、そろそろ團十郎の種を残そうと思い、種採りのコツを花好きのご近所さんに聞いてみた。何とその人は毎年最初の頃の元気な花をいくつか種用に残しているという。大きく丈夫な花が、やはり良い種になるのだそうだ。ああ、当然だ。花がら摘みの几帳面さが災いしてしまった。
選後鑑賞 亜紀子
探鳥や森に小さき茸邑 上中夕生江
百舌の高鳴きを聞きながら、秋の森を分け入っての探鳥会。雑木黄葉が微妙な色合いを重ね、櫨の紅葉に目を見張る。木の実、草の実、風の音、すべて季節は静かな方角へ移っていく。小啄木鳥の声に耳を澄ませば、柄長や四十雀が楽しげに過ぎていく。渡りの途中の珍しい小鳥は黙って双眼鏡のレンズの中におさまっている。足もとにあまたの小さな茸。かすかな、かすかな、お喋りが聞えてくるような。探鳥会を題材に、鳥ではなくお伽の国の茸を詠んで、秋色の森を行く楽しさを見せてくれた。
女手に届く限りの稲架木組む 武田洋美子
稲架木の組み方は各地方に独特のものがあるだろう。掲句の稲架の形はどのようなものだろうか。男手がないとは、老婦人ばかりとなったほまち田の農作業のようだ。横木を二段くらい渡した稲架か。いや、一段だけのものかもしれない。労苦多い農家の仕事であるが、健康に留意しつつ、四季折々怠りなく収穫の時を迎えたことが分る。
村挙げて能楽堂の雪囲ひ 村山八郎
山形庄内地方に五百年にわたり受け継がれてきた伝統芸能「黒川能」であろうか。春日社の神事であり、役者も囃子方もすべて氏子によって執り行われるそうである。村挙げての語に永年にわたる共同体の営み、人々の結びつきが感じられる。祭事の能ではなく、雪深い山形の冬への備えの活動を取り上げて、いっそう村の絆が強調される。
通過待ち工夫手を振る渓紅葉 池田節子
保線に携わる工夫たちが一時退避して通り過ぎる列車に向かって手を振っている。紅葉美しい谷間の路線。窓辺の乗客は旅心かき立てられ、気分も高揚。手を振り返した人もあるだろう。
実のところ保線工事の際には常に車両通過時間を把握して見張りに立つ係が居る。無線で列車と連絡取り合い、通過の折は全員軌道を離れ、通過列車に手を挙げて確認の合図をする。列車からは短い汽笛の合図が返される。触車事故を未然に防ぐために定められた大事な手順であるそうだ。
夜のしじま妻に一善りんご剝く 熱田千瓜
静かな夜に、熟年の夫婦にお喋りはいらない。この秋のはしりの林檎を剥きながら「食べるか?」の一言くらいだろうか。あるいは「奥様、召し上がりますか?」と執事役になったろうか。一善の語が面白い。たかが林檎の皮剝きというなかれ。この世代、供された夫人も今夜は一体どうしたことかしらと驚かれたのでは。
青青と穭の伸ぶる雨続き 平松美知子
十一月の初め、いささか早いかと思われた紅葉の吟行に参加。谷間の山道をバスで登って行くと、谷地の田の刈り入れは既に終っていた。緑整然と列なして麦のような、穭のような美しい畑がある。一体あれは何だと一緒に行った人に聞いてみても誰も知らない。麦畑の緑はもう少し頼りなく、列もよろよろ乱れている感じ。さりとて穭にしては緑に勢いがあり過ぎる。
掲句を読み、なるほどと合点する。やはり穭田であったようだ。長雨ゆえだったのか。目的地の山の公園の紅葉は思いのほか進んでいた。
小鳥来て金粉こぼす西王母 後藤久子
茶花として愛されている椿、西王母。一重咲きの薄桃色の花弁に、紅のぼかしの妙。ふっくらした筒咲きの花は大きく開いたところを見たことがないが、小鳥は嘴をさして金の粉が零れる。花鳥画の世界。
野の初日拝み戻る妻と犬 星眠
(テーブルの下により)
「テーブルの下に」居た黒いラブラドール。早朝散歩は母、午後の散歩は父であったようだ。
毎年、元旦は静かであった。 (亜紀子・脚注)