橡の木の下で

俳句と共に

平成27年「橡」8月号より

2015-07-26 13:42:12 | 星眠 季節の俳句

夏蚕あはれ眠らむとして棒立ちに    星眠    (営巣期より)


 春蚕の卵から生まれた二番蚕。体色透き通り、繭籠りの居場所を探して簇(まぶし)を上っていく。小さな生きもののひたすらな命の営み、それ自体の哀れを掬いとる。昭和四十年前期、労働力不足問題を抱えつつ、群馬の養蚕まだ盛んの頃。 亜紀子脚注

             


「湖上天国」平成27年「橡」8月号より

2015-07-26 13:34:16 | 俳句とエッセイ

 湖上天国    亜紀子

 

湖上天国うたびとつどふ船遊

黒づくめえりの中より鵜が一羽

浮御堂ひとり古りゆく夏霞

沖島緑かむさる軒寄する

腰あきとんぼ皇宮護る白ベルト

緑陰に奉仕の熊手積まれあり

鳰の子の顔漬くるのみ潜らざる

小振りなり尾張徳川山車揃へ

蜂退治夜陰奇襲の功奏す

豪雷のひとつ合図に大夕立

ひよどりのごと桜桃を食みをりぬ

蝉の子をおいてけぼりに夜が明くる

エルニーニョ舌出して梅雨乱れけり

晴れ男五月の墓に入る父は

 

 

 


「梅雨閑話」平成27年「橡」8月号より

2015-07-26 13:26:26 | 俳句とエッセイ

 梅雨閑話   亜紀子

 

 六月、梅雨入りしたものの名古屋の雨はそう多くはない。朝晩が涼しく、秋が来たかと錯覚するような空模様。九州では豪雨。東北は日照りが続いた。地球温暖化、エルニーニョ現象の影響らしい。

 就活中の娘が一件希望していたところの最終面接に辿りつけず、いささか落胆。その希望の度合を感じていた私も我が事のように消沈。かける言葉に迷い、取り敢えずいつも通りに過ごして一晩眠ると、私の気分は元に戻っている。やはり他人事であるようだ。娘にそれを言ったら冷淡な親だねと笑いながらも失望は隠し切れない様子。ちょうどその折、原田先生から隅田川のほとり、アサヒビール本部ビルに写ったスカイツリーの鏡像とスカイツリーの実物のツーショット写真が送信されてきた。吟行されたのであろうか、屋形船から撮影されたそうで縁起が善い写真とのこと。続いて隣接する同じアサヒのスーパードライホールの金のオブジェの写真も。こちらも何となくご利益がありそうだ。どんな霊験があるのかは分らぬが、A4用紙に印刷して冷蔵庫に張って就活の神とする。いよいよ神頼みかと、さすがに娘は苦笑。

 私には信心はないし、験担ぎなどとも無縁のつもりでいるのだが、ぐるりと部屋を見回せば町内会の氏社から毎年配られるお札、子供が受験の時に誰かが送ってくれた学業成就のお札、吟行で訪れた亀戸香取神社のお守り袋、果ては駅弁に付いてきた宮島の招福杓子まで、柱にピン留めし、長押に並べてある。香取神社はスポーツ振興の神で、勝利を願うスポーツ選手の信仰篤いところ。その庭の白石を勝運袋と書かれた白い小袋に入れて祈願する。吟行した頃は三人の子のうち二人が同じスポーツの選手でそれぞれに望みを持っていたので、石を二つ入れて祈願してきた。本来石は一個でなければいけない。そのせいかどうか、二人とも願っていた勝運には恵まれずに終る。

 五月の末、父の納骨が済んだ。父は自然と人生の前に謙虚な人であったが、信心は持たず、あの世のことは気にしていなかった。その父が生前に選んでおいた地はいずれ長男がお守し易いことを念頭に、青春時代を過ごした所。奇しくも妻、私の母方のご先祖さまの眠る寺がぴったりであった。納骨式で十数年ぶりに叔母に会う。叔父も同じ墓地に眠っている。生前親しく話す機会はめったになかった叔父と父が、今二人静かに一言二言交していると想像すると不思議な気がする。残された叔母と母は若い頃には姉妹としてはあまり似ているようにも見えなかったが、式で撮った二人並んだ写真はどこがどうということもなく良く似ているのも不思議な気がする。

 その叔母から地元の名物といって小包が届く。「大師巻き」という名の煎餅だ。黄金の揚げおかきに漆黒の海苔が巻かれ、さながら墨染衣の弘法大師。川崎大師のお土産として最近若者にも人気の出ている品とのこと。叔母は仕事柄若い人達と接する機会が多いので昔からいつも話題が新しかった。家の子供たちが非常に気に入ったところを見ると若者人気も頷ける。調べてみるとこの菓子舗は明治から続く老舗であった。

 川崎のお大師さんといえば葛餅が思い浮かぶ。祖母の折々のお参りの土産の葛餅。楽しかった幼い日が甦る。母も里帰りすると出かけることもあり、やはり土産は葛餅だった。それも遠のいて久しくなっていたのだが、私の最初の子の生まれる時に母はお大師さんのお札を貰ってきてくれた。今ではその子も大人である。

 六月も終りかける。就活娘は自分らしさを前面に出したつもりだが、それが受け入れてもらえないなら万が一採ってもらえたとしても上手くいかないかもしれない、落されたのは落された意味があるのだろうと言う。この世で我が身に起こることには必ずその起こるべき意味があると私も信じている、と相槌を打つ。「信じている」と私の口から出たことが可笑しかったようで笑われる。挫折や躓きがあればそれを乗り越えるのが人である。越えた処で回顧的に眺めれば、先の失敗には今に至るための踏み台として必ず意味があるということだろう。


選後鑑賞平成27年「橡」8月号より

2015-07-26 13:21:31 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

青鷺の蓑に雨打つ鑑真忌  釘宮多美代

 

 雨の中、鷺が首をすくめ背を丸めて立っている姿はまさしく蓑被た男。青鷺は鷺類の中でも大型で、一人じっと動かぬ様子はことに人間くさい。沈思黙考する鳥。折からつのる雨が飾り羽を伝い雫している。鷺と蓑は連想が働き易いが、鑑真忌はすぐには出てこない。幾度となく挫折しながら荒波を越えて終に渡来した唐の高僧が付かず離れずで繋がる。

 

瑠璃鳴くや杣のみ渡る丸太橋  金子まち子

 

 渓流沿いの茂みの中でヒッヒと小さな前置きのあと、高く澄んだ囀り。姿は見えなくとも瑠璃鶲の声と知られる。普段はめったに通る人もなく、丸木橋は杣人専用のようである。瑠璃鶲の歌がせせらぎの音にかぶさり、何とも気持ちの良い山中。

 

旅人のひとり朝湯や朴の花  菅好

 

 山あいの温泉宿だろうか、露天風呂かもしれない。緑の壷中の湯には行人一人。高く掲げられた朴の白い花が朝日を受けている。湯から朴の花へ視線が動いて、初夏の山の清々しさ全体が現れた。

 

若衆の組みし茅の輪に酒そそぐ  沖崎はる子

 

 地元の青年団であろうか、率先して祭礼を取り仕切る若者が居るのは頼もしい。茅草を輪に括り、茅の輪を立てる。最後に酒をそそぐというのは仕来りをよく見知っている人でないと書けないところ。地域の夏越の祓の風習が活き活きと伝わる。

 

栗の花失せて十棟家の建つ  太田康子

 ついこの間までは栗林であった所。ほまちの栗畑だったのか。いつのまに林が失せて整地されたと見ているうちに、はや分譲住宅に生れ変わっていた。それほど広い畑とも思われなかったのだが、十軒ほどのモダンな建物がぴたりと収まっている。車や自転車など置かれ、既に新しい家族が住まっているようだ。いつも今頃は栗の花が噴き出すように咲いて、その匂いを嗅いだ道であったが。

 

熱き茶を好みし母の夕端居  吉澤尚子

 

 熱いほうじ茶を好まれた母上。夕永きひととき、縁側の涼風ひとしお。家族や近所の人達と気の置けない談笑。端居とはどこかいつも懐かしさを伴う言葉。

 縁側のない住宅が増えて端居の情緒は失われたであろうか。以前、インドネシア人のお母さんが子供の頃の島の暮しを話してくれた。且つてはどの住宅も竹を主材にした開放的な小屋造りで、近隣の女子供が常に寄り合って時間と情報を共有していたそうだ。それが近代西欧的な家に取ってかわり、村人の暮しも変わってしまったそうである。家が先か、人々の意識が先か、変わったのはどちらが早いかは分らないが、その人は昔を懐かしがっていた。

 高緯度にあるカナダの夏の夕べはことのほか長い。縁側はないが、どの家も裏庭でバーベキューで過ごすのが定番だった。あれも夕端居の趣きかもしれぬ。夏の夕べの楽しみは本来万国共通ということか。

 

荒荒し嘴交しをる恋鴉  端径子

 

 鳥の恋を「荒々し」と先ず規定する。生き物の生きるための営みはなべて荒々しい。恋と言えばロマンティックに聞えるけれど、果たして鳥たちにロマンティクな恋心があるかしら。皆必死である。何にせよ必死になれることは幸せだ。などという注釈は自然を忘れた人間の脳天気な奢りかもしれない。