囀や朝は外に出て働ける 亜紀子
巣立ち子 亜紀子
花の塵白帝城へ道ひとつ
春陰や茶室を閉ざす石一つ
新玉葱雨後の白肌さらしをり
主日礼拝集ふ四月のニュータウン
ニュータウン芽吹く大樹も古りにけり
朝の戸や緑のひと日始まりぬ
灯を浴びて夜の枝重き八重桜
萌え出でて甍流るる蔦若葉
池ひとつ芽吹きの森に水湛ふ
苞脱いで手足広ぐる朴若葉
巣立ち子の昔遊びし子に似たる
咲きいでてなんじやもんじやと知られけり
かなしみに果て有りやよひ望の月
椋鳥夫妻夕暮れの巣にすべり込む
千里ニュータウン 亜紀子
四月七日、新大阪駅で新幹線を降り地下鉄に乗り換える。大阪市内中心部を通る市営地下鉄御堂筋線が江坂駅で私鉄北大阪急行線と直結。北大阪急行は北へ延び、吹田市、豊中市を通り千里中央駅へ到る。今日の句会は千里ニュータウンの古い地域を歩いてみようとの趣向。大阪のベッドタウン散策。少し珍しい企画と思う。
電車が目的地に近づくにつれ、住宅地の狭間に竹林が見えてくる。今年の春は寒さが続いていたせいか未だあちらこちらに名残りの花も。新大阪から十分ほどで待ち合わせの桃山台駅に到着。北口を探すとそこは自動車道路を跨ぐ高い陸橋の真ん中であった。昨日の雨が去り、今朝はまた冬型の気圧配置に戻ったようで風が身にしみる。橋下を見下ろすと、道路は切り立った深い谷底を一直線に走っている。かつて筍の産地であったという丘陵地帯を切り開き造成されたことが了解される。橋の向うとこちらにに住宅地。団地やマンションが立ち並ぶ。千里ニュータウンは現在大阪では人気の一等地で、ここでマイホームを手に入れるのはなかなか難しいそうである。
鳥越やすこさん、浅野なみさん中心の大阪の仲間に、倉敷から塩出佐代子さんの仲間が加わり、総勢二十名ほどで吟行。かつて大島先生が毎月句会に通われた地である。その当時、句会の後都心部へ戻る道中を一緒に過ごされた福元さんは、マンツーマンで何か句作の秘伝の奥義を授かることができるのではと期待したそうだが、いつも決まって野球の話に終始したと笑う。
歩き出すと、団地の庭先や街路の樹木がずいぶんと立派であることに気がつく。千里ニュータウン誕生からおよそ五十年、最初に植えられた若木が年輪を加えたわけである。一九六〇年代初頭に始まった新住宅都市の大規模開発。このニュータウンがその後の日本各地の同様な開発の先鞭をつけた。入居開始時は交通の便が悪く不人気だったそうだが、鉄道が延びると俄然便利になり人口は膨らみ続けた。産院不足や学校不足等々生じてくる問題をその都度解消しつつ、開発は続く。やがて第一世代は老い、次世代は外部へ流出し、老齢化、過疎化の問題が訪れる。現在は老若相集うコミュニティータウンとしての再生が図られているという。街の栄枯盛衰、再生、この歴史もまた各地のニュータウンの雛形であろう。
吟行では、ここの住人である釘宮さんがボランティアで世話をされている小学校の菜園を訪ねる。釘宮さんは初めてお目にかかった頃とは別人のように日焼けして、がっしりした体つき、農の哲人といった風貌。白く肌の張った美味しそうな新玉葱が並ぶ畑など見せていただく。また近くの教会で日曜礼拝の様子を見学。若い牧師さんの細い声で歌う賛美歌が耳に残る。昼食の弁当を開いたのは千里南公園。釣堀のある池を中心に、櫟の花房、メタセコイアの芽吹き、四十雀の鈴ふる声、小啄木鳥が幹を小突く音。肌寒く季節は半月ほど遅れている。そのお陰で桜吹雪に歓声があがる。国際学園の生徒達が花見の後のゲームに興じている。短時間にニュータウンの今を垣間見る。午後からの句会会場、市民センターの窓からは遠く森の上に一九七〇年万博のシンボル「太陽の塔」が顔を挙げていた。
話が前後するが、吟行の前にやすこさんの計らいで、なみさん、佐代子さんも一緒に、住宅地の小さな喫茶店で山河集同人の石倉美津子さんにお会いした。美津子さんは佐代子さんの母上。今年九七歳、小柄な身体にすっきりと着こなしたスーツ姿。人と生まれたからには日々目的を持って生きなければつまりませんと仰る。この一月に東京例会で紹介した「この頃欲が出て投句の前に篤と考えるようになりました」という、やはり山河集の鈴木寿美子さんの言を思い出した。鈴木さんは九四歳。意欲、これこそが私たちの生の推進力である。美津子さんの俳句は鳥越すみこ先生との出会いに始まる。すみこ先生はやすこさん、なみさんの母上。千里ニュータウンの片隅で、俳句という小さな詩に導かれ美津子さんと珈琲をご一緒する不思議。ガラス窓の向うで、八重桜の下、羽色の濃い山雀が一羽庭に降りては発ち、発ちては戻りする。営巣期であろうか。
選後鑑賞 亜紀子
風光る団地の窓といふ窓に はせ淑子
アパートのいくつも並んだ四角い窓ガラス。陽光を受け、みな輝いている。吹いてゆく春風が快い。ひとつひとつの窓の奥に、ひとつひとつの生活がある。誰も皆この喜びの春を迎えている筈である。作者は大阪千里ニュータウンの住人。いつも見慣れた風景の中でこそ、季節の展開を敏感に受け取り言葉にし得た。五十年の歴史を持つこの街の再生の兆しさえ感じられる。
嶺に雪甲斐路は遅き雛祭る 渡辺宣子
甲斐路は山の中。嶺々はまだ白く輝いている。地方では節句の祝いは旧暦で行われるのだろう。旧暦三月三日は、今年は陽暦の四月十二日にあたる。名のみでない本当の春が近いことと思われる。里の庭先の花々が咲き初めて、光眩しくなった景が見えてくる。
遠会釈交して坐る花の宴 谷本俊夫
花見の宴、広げられた筵におもむろに座る。多人数の集団なのか。懇意の人があちらに見えるけれど声には出さず、お互い会釈を交すのみ。あるいは、室内のどちらかといえば畏まった宴席であろうか。離れたテーブルに居る知人と目が合い、無言の挨拶を交して卓につく。桜の下の宴会というと、場所取りの狂騒に始まり、あげく酔余放歌して憚らずの感があり、それはそれで「やがて悲しき」の哀れも覚えるが、掲句はずいぶんと落ち着いた大人の宴のようである。
切り岸に野山羊自在や木の芽どき 山口外枝子
潮が洗う断崖絶壁をいとも簡単に駆け下りて移動して行く野山羊。萌え出た木々の芽を食べていく。まさしく自由自在な、軽やかな様子に作者は感嘆の声をあげた。昔ロッキー山脈の山襞に真っ白な大山羊が岩塩を舐めに出てくるのを見たことがある。直訳で山の山羊という種類である。ところで調べてみると、野山羊というのは我が国ではすべて家畜が野生化したものだそうである。木本の芽を好んで食べるため、その食害が問題である。生態系が小さく閉じられている島嶼における被害は甚大とのこと。野山羊は害獣として駆除の対象とされた。もともと人が引き起こした事態である。山羊の気持ちに立てば災難なことであろう。
チャオプラヤー川舳先に供物風光る 小野靖子
チャオプラヤー川はタイのバンコクを中心に流れている川。大きな河川だそうで、タイ国内に広い流域を持っているようだ。タイは仏教国であるから、宗教行事のひとつとして、なにか供物を捧げに船で川を移動することがあるのだろうか。あるいは船の安全祈願として舳先に常時捧げものを載せているのかもしれない。
水を切って進む舳先に、風光るの語が明るく気持ち良い。
漁止めの一日静かに余花の雨 保崎眞知子
漁止め、すなわち漁休み。港に繋がれて並んだ船に降り注ぐ柔らかな雨。辺りはもう若葉の美しい景の中、遅咲きの花の白さが目に立つ。人影少ない漁港を通りかかった吟行の一日であろうか。海辺の余花の雨の情緒を伝える。
桜守かがり火に顔晒しをり 出雲敬子
夜桜祭であろうか。花守が篝火の番もしているようだ。火の粉にさらされ赤く輝く桜守の頬を描きながら、炎に揺らめく夜の桜の姿が浮び上がってくる。ぱちぱちと撥ねる火の粉の音も聞こえてくるような。