お孫ちゃま俳句 亜紀子
おおよそ我々が日常体験することや感じたことで俳句に詠めないものはないと思います。しかし、詠みづらいこと、難しいものはあるでしょう。その中の一つに家族や身内、ことにお孫さんの俳句があるでしょうか。お孫ちゃま俳句は甘くなるのでつまらないと鼻から嫌がる人も居そうです。とはいえ橡会員の大多数は祖父母、曾祖父母の世代となり、お孫さんを詠まれる機会も多くなっています。かく言う自分も孫となると思わず口がムズムズしてきます。このムズムズを抑えずにそのまま句にすると独り善がりになりそうです。
なぜ孫俳句がつまらないのか、NHK俳句「俳句道場」に夏井いつき氏が例句を挙げながらとても分かりやすく書かれていました。ある人が句会で孫俳句を注意されたそうですが、夏井氏はそれはきっとその俳句が下手だったからに違いないとスパッとひと言。あ、その通りと私もいたく納得できました。とにかく目の前の五七五が全てですから。
氏は孫俳句を難しくするハードルは第一に自慢臭さ、第二に類想を挙げています。対策としては、自慢はさらりと具体的描写に託す。次に万人的類想を離れて自分の孫らしさを探り出す。そしてさらにその先へ進めば、一読我が孫か他人様の子かははっきり分からないながら、強い印象を与える句は作者の中で孫との関わりの記憶として刻印され、作品も残る。それで良いのではないかと。ここでは紙幅に記す余裕がありませんが、単行本には例句がたくさん示されているので興味を持たれた方は読まれると勉強になると思います。
NHK俳句
夏井いつきの俳句道場(二〇二一年NHK出版)
星眠先生はお孫ちゃま俳句を詠んでいたでしょうか。はい、父ももちろん折々に詠んでいました。我が四人のはらからの中で長男が最初に家庭を持ちましたので、多くはその三人の子の句です。句集『テーブルの下に』の中から年代や前後の句から推察し、おそらくあの子達の事だろうと思われるものを抜き出してみました。
乳母車押すや六十路の木下闇
みどりごも別れを知るや駅晩夏
何かの事情で上の子を預かり子守の日々を詠んだもの。
六十路われベビイボッカや三ヶ日
姉泣けば妹も涙の朝ぐもり
これも同様の機会の句のようです。
手花火の矢つぎ早なり若き父
孫の親、つまり星眠先生の息子の姿を詠みつつ、その若い父親にまとわりついて花火に興じる孫の姿が浮かび上がります。
終わるまで醒めぬ幼子簗料理
川風涼しく、寝ている子は天使です。
初泣きは新居の障子破りし子
ベッドから落ちし二人子旅始
父恋の童女二人にふかし甘藷
それとは言わずとも、お爺ちゃん心溢れ出ています。
樅秀で梅雨爽涼の月あかり
この句は昨年の橡七月号「季節の俳句」でも解説しましたが、男の孫誕生に際して「爽」の字を名前に与えたゆかりの作です。
こうして見てきますと独創的であるためには他人の句をたくさん読むことの大切さを思い知ります。そして孫俳句であろうと何俳句であろうと、眼前の五七五に力があるかないか、一大事はそれだけということ。力のある句へ至る道のりは遠く、長いなあと。ではその道程を楽しんで歩きたいと思います。