待春 亜紀子
立春も間近となった一月の終りに、ある講演を聞きに出かけた。「動機づけ面接」というカウンセリング領域の方法があり、その実践者であり指導者である米国人のD・ローゼングレン博士の講演である。動機づけ面接とは、問題を解決して乗り越え自己の行動を変えていく力はその来談者自身の中にあるという認識を前提に、傾聴と来談者の発言に対抗しない聞き返しとを中心にした面接方法である。博士はワシントン大学のアルコールと薬物依存の専門家でもある。何故私がそうした話を聞きに行ったかの理由は割愛するが、動機づけ面接というものがことさらに専門的なものでもなく、一般の社会生活上での気持ちの良いコミュニケーションの珠玉を見るように感じられ以前から惹かれているのだ。
会場のある国立オリンピック記念青少年総合センターには春のような日差しが注ぎ、ひと月前は降雪予報に震えていた桜の芽もふふむかと思われた。講演の主旨は、面接者が抱いている未来に対する自信や楽観性が、来談者に与える影響というものであった。最初に聴講者は自由に二、三人のグループを作り、お互いにこの二十四時間内の体験で笑顔になれた出来ごとを三つ伝え合うという課題をもらう。目と目を合せた他人は知己となり、その課題ひとつで会場の雰囲気が和む。博士は科学的データによって証明された例をあげながら、面接者の持つ未来への明るい確信が、問題を抱えている来談者の内にある希望に自ずから光りを当てて拾い上げるのだと語る。そして希望というものは鍛え上げ、強く育てることのできるものだとも。通訳付きの博士の語り口は時に冗談を交えながら、筋が通り、押しつけがましいところが微塵もなく、聴衆自らの納得と理解を待ってくれているようだ。面接者に必要な根幹にあるものは来談者に対する愛情、アガぺーであり、この世への感謝であるというところまで話が進んだ。最後にまたグループに戻り、自分が今感謝していることを三つ伝え合うという課題。講演終了後、お互いごく自然に名刺交換。大柄で黒いサングラスが似合っていた博士が実に柔和な表情で立っている。自分たちが博士の持つ資質に照らされ影響されたことに気付く。我々自らが演題の実証であった。
ひとり帰る新幹線の中で、父星眠が目指す俳句の要件の一つとしている「俳句の明朗性」ということを思い出していた。今はもうたくさんの思い出の中の一齣でしかないのだが、昔「けふ籠る不登校児や黴の家」と詠んだところ「ふうん、その句は止めておいた方が良いのじゃないか」と没になった。個人的に過ぎる題材がいけないのだろうか。
夢に来し父に抱かれ寒夜なり (営巣期昭和四三)
霜きびし早起母の死の旅は (営巣期昭和四四)
父といふ世に淡きもの桜満つ (営巣期昭和五一)
遷子悼み且羨めり初山河 (青葉木菟昭和五五)
遷子北斗同齢露の世を辞して (テーブルの下に平成元)
忘れじのいたづら笑窪柿の花 (テーブルの下平成十二)
父母の墓掃く兄弟の息白し (テーブルの下に平成十五)
風狂の寂しさ言はず別れ霜 (テーブルの下に平成十九)
星眠選集から追悼句、それに準ずる内容の句を引いてみた。いずれの作品にも哀しみはあるが、暗さはない。生きていくこの世の哀しみを諾うた、その先の光がある。
ひるがえって取り上げてもらえなかった件の私の句はべたりとした重苦しさの吐露のみで終っている。未来への指向を忘れた句には魅力がない。俳句はまぎれもなく人間のコミュニケーションのひとつの形であり、明るさは作品の質の根本に拘わる問題なのだ。今日の講演で強調されていた希望という言葉が静かに谺して胸に響く。あの時の父の言ったことはこれであったかと漸くにして思い至る。