選後鑑賞 亜紀子
杖をつく友増えにけり花御堂 鈴木月
昔、お寺さんの保育園に通った子がいたので四月の花祭は子供の行事の印象がある。のんのんさまの唄を歌い、甘茶飴をもらって帰って来た。そののんのん様も神々しくも愛らしい赤子の姿。掲句作者にもきっと幼い日の思い出があることと想像する。今は友垣も杖を引いて、もう一つの手で甘茶を注ぐ様子。闌の春。この春の気は今も変わらない。
菜食の長寿うべなふ花祭 星眠
渋滞の上を白鳥列なして 伊藤千惠
この冬は大雪による道路の渋滞が各地で報じられてていた。大空の白鳥もまた隊列を組んでいるけれど、こちらは渋滞知らず。いささか情けない人間さまである。
立春や孫を両手に散歩道 寺﨑健子
春は浅いが日差しが明るい。二人の幼のお守り、日の光を浴びに出る。二人ともまだ足元が覚束なそう。日だまりのたんぽぽや、すみれに立ち止まる。そこら辺の石ころにも興味津々。引かれた手を離さないうちはまだ安心か。達者になれば何処へでも走って行ってしまうだろうから。
孫に似て今の世らしき雛の貌 倉坪和久
「お内裏様とお雛様二人ならんですまし顔」
昔風のお顔というのはこのすまし顔、少しとっつきにくい平安朝風ということになろうか。今の世らしきとは、頰はややふっくらでお目は大きめの親しみやすいお顔を想像した。お孫さんは健やかで可愛らしい女の子。
葉痕に目あり鼻あり冬の森 布施朋子
葉痕とは葉を落とした木の茎に残った傷痕。養分を葉に送る管のあとが目鼻に見える。樹木の種類によってその表情も様々。じっくり観察したことはないが、掲句によって冬の森がにわかに賑やかに楽しい森に思えてきた。葉痕の脇には次の芽が準備され、春の来るのを待っている。
雪の日も夕刊届き夜の深む 奥村綾子
こんな雪の日にもちゃんと新聞が届いた。雪降る中を届けてくれる人がいるからだ。一日の終わり、新聞に目を通しながら、そのことに改めて思い至る。常の夕刊一つにも人の温もりを感じる作者。
青麦へ風追ひ風のゆき渡る 清水陽子
麦青み、風になびく。次から次へとさざなみのように。ああ、快い。
着ぶくれは長病める身の隠れ蓑 市田あや子
物を身に纏うと、どこか安心を覚える。着痩せという言葉はあるが、着膨れには掲句のような効用があると知った。
思はざる列車の遅れ厄詣 杉山哲也
掲句も雪の被害の一つだろうか。想定以上の積雪で麻痺した路線があった。厄詣の途次の出来事というのが面白い、と言ってしまっては申し訳ないが。この一件で確実に厄は落とされたことと思う。
厄落しすでにマフラー落としあり 星眠
春めくや大道芸に乳母車 髙田くにゑ
掲句のような光景も春隣の嬉しさ。ありがたい季節だ。