橡の木の下で

俳句と共に

「オンライン句会」令和2年『橡』10月号より

2020-09-27 15:10:30 | 俳句とエッセイ
 オンライン句会  亜紀子

 名古屋の八月、最高気温三十度以上の毎日。後半は三十五度以上の猛暑日のオンパレード。立秋、処暑といった言葉が虚しく過ぎた。庭の撒水の時機を外してしまい一遍に草木の葉が灼けた。以後、日が完全に落ちてから水を撒いているので薮蚊の猛攻に遭う。
 庭の大将はヒトスジシマカとオンブバッタ。バッタは其処此処に数匹いるカマキリの餌食になるところを目撃している。胡麻粒ほどに飛び散っていた小さなバッタ、アフリカのように庭中の植物を食べ尽くされそうな数だったが、今は大きく育ったのが残り、そこそこのバランスで草木も守られている。どこからか時々シオカラトンボが飛んでくるのは藪蚊が目当てと思うのだが、トンボが去った後も蚊の数は一向に減り目が見えない。朝から晩までこう暑くっちゃ、蚊の勢いは衰えようがない。隣家の鈴虫の音、日暮れの草むらの蟋蟀、夜空の月や星も澄み、確かに秋は来にけりなのだろうが、午後九時を回っても気温は下がらず。何かギクシャクしている。
 コロナ自粛に引き続いて暑に籠もる日々は暑さ回避で必然的にコロナ回避といった体。籠もって居れる自分は良いが、現役はそうはいかず、小さな小学生たちもマスクに真っ赤な顔をして通学。さて、名古屋は公共の施設が六月から使えるようになり月に一度の句会は続いている。しかし地域によっては句会や吟行会は控えているとも聞こえてくる。会場に集まれない時は句稿を郵送やファクスでやり取りする。名古屋でもこの春はそうやって過ごした。
 亡き町野先生とお仲間で結ばれた「おこじょ会」は都内での吟行句会を毎月長年休まず続けてこられた。しかし東京の感染状況は警戒が必要で今は実施もなかなか難しいようだ。そこでオンライン句会を試されることになり、会一番の若手吉村姉羽さんの肝いりでこの八月に開催、私も参加させてもらった。姉羽さんはご自分の句会仲間にネット方面に詳しい人がいて、既にオンライン句会を体験済みとのことであった。彼女は東京例会小吟行の発案者でもある。新しい試みの発信点だ。
 具体的には姉羽さんが登録し開設してくれたオンライン句会サイトに各自アクセスして参加登録。期間内に投句。投句が締め切られると、今度は丸一日の間に選句。選は本選、下選ともいうべき「選」「選外」を選ぶことができ、それぞれ自由に鑑賞コメントも寄せることができた。寄せられた句へのコメントや総評はその口調(文体)に久しく顔を合わせていない誰彼を親しく感ぜられた。今回は三句投句、五句選。選外は制限なし。いつもなら皆で吟行会の後の句会のところ、あらかじめ兼題がいくつか出されていて、題詠と自由句の組み合わせであった。一連の作業も閲覧も自宅に居ながらにして紙や鉛筆を使わずして一瞬に整うのは、それがネット句会であると言えばそうなのだが、一言で言えば「便利」、新たな驚き。
 驚きといえば、もう一つ。この何十年題詠はほとんど経験がなく、兼題というものには偏見があった。だが今回題が課されてから投句締め切りまでの数日間、毎日よくよく周りを見回した。頭の中で題を捏ねず、
とにかく題が現実にそこにあるのを探すことに努めた。
良い句はできなかったけれど、楽しかった。題詠も案外にいいなと。もっとも良く考えてみれば、吟行会というのも一種の題詠と言えなくもない。皆で同じ場所に集い、同じものを見て、そこに幾つもの題を与えられたようなものだろう。空気、音、匂い、その時の状況のあれこれ、仲間の存在、そして実物そのもの。体験する現在があるから机上の題とは異なるけれど。
 以前姉羽さんの句集『花の切符を握りしめ』に書いたことだが、建築家の彼女は建築に関わる質問に対して、素人の私が知りたいこと、何を言わんとしているかを即座に理解してさらさらと分かりやすく説明してくれる。常に「格好いいなあ」という印象。
 彼女の最近の作品を拝見していると、寄る年波、仕事や趣味とは別に心砕かねばならぬこともあり、それは心を占めるばかりでなく、物理的な時間をも占めていることだろうと察する。
 その姉羽さんはネット句会の終わりにコメントも含めた選句結果をPDFファイルにして各自に送信してくれた。誰もがサイトにアクセスせずとも先ずは直ぐ分かるようにと。
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