端午なり路傍の草も花かかげ 亜紀子
桃の日 亜紀子
豆ひひな遠く住む子も達者らし
尾を立てて影も忙しや笹鳴ける
桃の日や軽ろく大きな御伽犬
雨よりも細く柳の芽吹きたる
水鳴つて揺るる木五倍子の金鎖
いや生ふる台座も高き仏の座
震災の日のけふ辛夷真白なり
乙女らにコリアンコスメ春の雨
はなのきの離りて見れば花盛り
風音に父母恋し彼岸荒れ
雨の後森は一途に芽吹くかな
春うれひ辛夷並木もくたびれて
雨降ればたやすくつのる春愁
公園に子らの来ぬ日々菜種梅雨
水一日張れば目覚むる菖蒲かな
令和六年五月の青啄木鳥集の中から 亜紀子
昨年令和五年八月号の文章のページで、青啄木鳥集の中から秀句鑑賞に取り上げていない句をピックアップしてみました。毎月、橡に寄せていただく皆さんの作品を読むことがどれほど勉強になるか、刺激になるか、言い尽くせません。
今月もまた同じ試みをしてみます。
目白二羽友が遺愛の紅椿 岩井治子
作者と掲句の友とはどのような関係であったのか、本当のところ分かりません。けれど紅椿を愛おしむ人柄、きっと俳句仲間に違いないと、考えを巡らすことなく即座に解しました。そしてかつてその椿について二人で語らったこと、共に学んだ句会の様子、毎月楽しみ励んだ吟行などなど、懐かしい月日をまるで自分ごとのように思い浮かべました。目の前の目白の動きが記憶を活き活きと蘇らせてくれたようです。
こともなく耕人土竜抛りけり 岡本昭子
黙々と春耕しに励んでいた人がひょいと石ころか何かを放り捨てたと思いきや、何とそれは土竜でした。
土竜は地上で飢えて死んでしまったのかもしれません。句材を探しに近郊を歩いていた作者は淡々としたその様に驚いたのでしょう。しかしこれまた事もなくひょいと一句にまとめた掲句作者に私も驚きました。
春雪を掃く僧二百永平寺 伊與雅峯
福井生まれの作者に永平寺は親しく思い寄せる大寺。雪深い彼の地も季節は巡り、境内のそこここで修行僧たちは黙々と春雪を掃き浄めている朝です。その数二百というのだから、訪れたことのない者にとってもいかに荘厳な寺院であるかが理解されます。昔、永平寺一泊参禅体験をしたことが思い出されました。修行僧の佇まいが清々しく、おそらく皆実年齢よりもずっと若く見えました。清浄な空気の中で良いものを適量食し、体を使い、頭を使い規則正しい日々を送っているからだろうと、一緒に体験した友人と感嘆したものです。ところで掲句は句会の時に出されました。その時作者の夫人もまた同様な景として
百人の僧の足音冬深し
という句を出されました。百と二百では数が違いますが要は大寺院の沢山の修行僧という事でしょう。実際には百と二百の間くらいのお坊さまが勤めているようです。
探梅や鶫に先を越されつつ 岩嵜妥江
里山の探梅行。鶫はまだ帰らぬのか人に親しく付かず離れず同行。鄙びた辺りの様、ようやく春らしくなってきて気持ちにもゆとりの作者。読者も梅の香りにほっと深呼吸です。
雛の間に桑の枝を持つ蚕神 吉藤淳子
古くから伝わるお雛様を飾り展示している文化財施設で詠まれた句のようです。かつて養蚕王国だった上州、蚕は御と様を付けて「お蚕さま」と呼ばれました。その蚕の守り神、東北ではおしら様でしょうか。どのようなお姿であったか思い出せないのですが、、桑の枝を持つの描写に想像が膨らみました。華やかなお雛様と並んでいるところ、かえって目を惹かれます。
ショベルカー雪像くづし祭り果つ 岩壽子
札幌雪まつり、二月初旬に今季も無事開催、閉幕したようです。鎌倉住まいから故郷札幌に戻られた作者。その作者だからこそ目にすることのできる風景です。ショベルカーで崩されていく様に荘厳だった雪像、祭の賑わいを夢の跡のように彷彿。解体も安全第一、そうそうお手軽な作業ではないのでしょう。一度眺めて見たいものです。
さて青啄木鳥集にはもっと触れたい作品があるのですが誌面尽きましたので、次の機会に。
選後鑑賞 亜紀子
軒下の凍み餅外し焼く匂ひ 伊藤裕通
冬の寒さ厳しい地方に冷蔵庫も冷凍庫も、脱酸素剤も無かった昔より伝わる食品保存の知恵。私には信州の凍み豆腐(高野豆腐)が馴染みだ。掲句の凍み餅は福島の郷土食の一つらしい。寒中、軒下に薄く切った餅を吊るし一旦凍らせ、そのまま寒さの中で乾燥させる。最低一と月くらいはかかるようだ。食べる際は水で戻してから加熱。今はネット販売や道の駅等で買うことができるようだが、掲句作者のところでは長年伝統を守っているのだろう。あるいは父母のもとで守られていた頃の思い出とも取れる。軒の紐から外す具体的な動作、鼻をくすぐる焼き餅の匂い、言うに言われぬ懐かしさに包まれる。
現代はフリーズドライ(瞬間凍結・真空乾燥)、便利でそこそこ食べられるけれど、懐かしい味はしないだろう。
赤信号渡り慣れたる恋の猫 鈴木月
雌猫を追いかけたのか、ライバル猫を追い出したのか、人間の交通規則など猫の眼中にはない。いくら俊敏な動物でも車には勝てまいからちょっとハラハラしたが、渡り慣れたるで成る程とホッとした。赤信号皆んなで渡れば、、という古いギャグを思い出し、笑ってしまった。
輪の中に恩師を囲み卒業歌 髙橋榮子
卒業式も滞りなく終わり、校庭に出て各々の写真撮影の時。担任の教師の周りに自然に集まった生徒達が卒業の歌を。多くの学生に慕われた先生。そんな情景を思い浮かべた。袴姿の女学生か、セーラー服と詰襟の生徒たちか。ちょっと郷愁を覚えたが、現代的な光景であるのかもしれない。
被災地の起重機動く春動く 高沢紀美子
正月、激震に見舞われた能登の状況はなお厳しいようだ。全国から応援に入る自治体職員の宿舎が完成、学校に寝泊まりしている先生たちの個人スペースを確保という記事などには少しホッとさせられる。掲句の春動くに、季節と共に前に動き出した被災地の状況、そしてどうか少しでも早く前進できるようにという願い、全てが込められているように感じた。
夕映の仏間あかるき入彼岸 星照子
西の夕日の入る仏間。日は永くなり、開かれたお仏壇、古き畳や壁を照らしている。穏やかに暮れていく彼岸の一と日の情緒。
ひな市の店主にこやか異国人 中川幸子
異国とはどこの国だろうか。明るいお国柄らしい。過疎化進む今、地方都市に暮らす外国人が増えていると聞く。何を売っているのだろう。小さな町の小さな雛の祭に出店している店主に興味津々。地域に溶け込んでいる人のようだ。
捉へたる風と売らるる風車 武藤ふみ江
前の句の雛市で売られている風車と考えても面白い。この頃はまだ風の上州。売られて手渡される風車がくるくる回る。少し肌寒いが、光は明るく、確かに春は来ている。
山茱萸や声くぐりゆく四十雀 田村美佐江
林の中でいち早く目を覚ます山茱萸の花。同様に誰よりも早く囀り始める四十雀。早春の喜びの時。
春市を出すぞと海女の心意気 長井恒治
一月の地震によって輪島の海岸は大きく地盤隆起。専門家と共に海女さんたちが磯の被害調査をしたというニュース。四月は藻場の調査も。安全確認されれば海女さんたちは皆海に潜りたいそうだ。掲句の心意気が尊い。
鄙住に妻も古りけり桜飯 星眠
(テーブルの下により)
ここで言う桜飯は桜花を炊き込んだ仄くれないの雅なもの。
東京を恋い慕っていた母も人生の大半が田舎での生活となり、
大正生まれの父が時には妻を労る言葉を口にするようにもなった。
(亜紀子・脚注)