橡の木の下で

俳句と共に

「秋風」令和3年『橡』12月号より

2021-11-28 12:39:45 | 俳句とエッセイ
  秋風   亜紀子

風の子のおはじき遊び木の実降る
放課後の子供天国鵯も群れ
隠れ蓑ほとりに秋の蚊の声す
静かなり古葉摘みつむ松手入
選挙戦鵯もはり裂け声あげて
渡り蝶失せて秋風吹くばかり
浜菊のなほも真白や雨の中
浜菊の蝶虻蝿も呼ぶ日和
水かげろふ手入れすみたる松が枝に
駅前の一樹小鳥も時差勤務
土寄する乙女秋澄む牡丹園
黄葉して隠れもやらずかくれみの
秋蝶や紫しるく日にかざし
茶の花を蜂もよろこぶ日和かな
漣の一閃池に冬が来る


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「浅葱斑蝶」令和3年『橡』12月号より

2021-11-28 12:32:58 | 俳句とエッセイ
   浅葱斑蝶  亜紀子

 毎朝ベランダで眺めている木から、この頃は目白がこぼれ出てくる。鳴きながら弾丸飛びに通り抜ける。その木が何の木か分からない。七階のベランダよりも背が高い。秋になる前から緑と黄色の葉が段だらで不思議に思っていた。いつもの徳川園散歩の帰り道、その根方へ回ってみる。根元は二つの木が一つになったような形で大人の二抱えほどもある。灰色の滑らかな肌。黐の木かしら。よく感じの似ている園内の黐の木はもっと小さいが、今は真っ赤な実をつけている。そういえば黐の木は雌雄異株で雄木には実がならないと中里さんに教わった。これは黐の大きな雄木ということか。写真に撮ってメールすれば夜までには中里さんの解答を貰えたのだが、もういない。
 橡誌上に長らく「草木判別の栞」を執筆された中里さんはアマチュアの植物研究家。連載に毎回添えられた手書きの植物図も分かりやすかった。かつて専門家の採集、調査研究に参加されていたのだと聞いた。活動の中心の先生が誰の言にも耳を傾け、権威を笠に着ないざっくばらんな人柄で魅せられたとも。中里さんも在野の気風、大きなものにおもねることなくいつも飄々としていた。
 町野けい子先生たち女性ばかりのおこじょ会の黒一点。最長老だが山で鍛えた足は健脚の女性たちに引けを取らない。そこここで立ち止まり植物談義。皆珍しいものを見つけると中里さんを呼んでは教えを乞うた。歩く図鑑のよう。私も何年間かその吟行に加えていただき、毎度中里さんの後を追っかけて歩いていた。何度教えてもらってもすぐに忘れて次回もまた同じことを聞くという生徒であったが、一緒に歩くのが楽しかった。十年前の震災の日、吟行の後の昼食会兼句会の会場の釜飯屋で揺れに合い、都内を延々八キロ程歩いた時の中里さんは黙々と淡々としていた。
 元来寡黙な氏は句会でも多くは語らず、順番が回ってきた時に短く鋭い感想を述べられた。これは少し耳が遠くなられていた故ということもあったろうか。折々に町野先生が声を大きくしてフォローされていた。そして食事会で欠かさぬ軽い一杯を美味しそうにいただくのがこのお二人であった。
 東大のキャンパスが吟行地であった日のこと。中里さんは子供の頃東大病院に入院されていた母上の見舞いによく来たのだと話された。実の母親を早くに亡くされ、その後に母親となった人達もまた亡くされたと。新潟から来た人に一番馴染んでスキーを覚えたことなど。あの日、どうしてその話が出たのか。ただ飄然と歩く氏の後ろ姿を思い出す。
 四年前の町野先生の葬儀の朝、先生からいただいた実生のマロニエの葉が一度に落葉した。寒い朝だった。 駅から教会へ向かう途次、中里さんにその話をすると「そういうことはあるんです」「私の実母が亡くなった年にそれまで毎年たくさん花を付けていた芙蓉が咲かなかった」と。
 その後の町野先生の追悼句会の折、中里さんはもう俳句は止めようかと思ったとポツリと言われた。私はいつだったか吟行の帰りの電車で町野先生と二人になった時、相談というでもなく、打ち明けるというでもなく、娘の話を聞いてもらったことを思い出した。本当にただ聞いてもらっただけの時間。中里さんにも町野先生とそんな時間があったのだろうとふと思った。
 しかし中里さんは俳句をやめることなく吟行も句会も変わらず続けられ、植物と共に蝶にも詳しくなられていたので時折はメールで蝶の確認もしてもらった。橡誌上ではこの三年ほど新たな掲載「山歩きの四季」を楽しみに拝読。それが今年一月で筆を折られた。青啄木鳥集の投句は続けられていたものの、このコロナ渦中のネット句会への参加が途絶え案じていた。夏の終わり、おこじょ会のメンバーすら人伝てに中里さんの入院の話。お見舞い先も分からぬまま、十月になってからひと月ほど前に亡くなられたことを知る。ご遺族との連絡も取れず、風に吹かれるように逝ってしまわれた。
 俄かに肌寒くなった日、黐であろうあの大木の下に行ってみた。ふわりふわりと蝶が一つ。あっ、浅葱斑蝶。徳川園内の四阿のほとりにほんのひと叢の藤袴があるが、そこでこの蝶を見たことはない。中里さん、本当にこういうことがあるのですね。

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選後鑑賞令和3年「橡」12月号より

2021-11-28 12:28:12 | 俳句とエッセイ
  選後鑑賞    亜紀子 

小さき手にかたばみの実のすぐ弾け  深谷征子

 まだぷくぷくとした小さな手。小さいけれどよく熟したかたばみの実。幼い指がちょっと触れば、即座に種が弾け飛ぶ。つられて次々と回りの実も弾ける。驚きの瞳、笑い声。いつの間にか私の手指も小さくなって、かたばみに触れている、あの日の感触。

髪刈りて八十路の妻は爽やかに    和田至弘

 奥様の髪型などには無頓着、美容院に行ってきたのも気付かない旦那さんという昭和漫画があったような気がする。掲句の作者もその世代であろうかと思われるが、今八十路の妻のさっぱりと短く揃えた髪を目を細めて見ておられる。お互い高齢となり、奥様に寄り添う暮らし。ものみな澄む季節。

子供らの奉仕清掃爽やかに      布施朋子

 コロナで一斉休校になった昨年などは掲句のような光景は考えられなかったかもしれない。子供会か、あるいは小中学校からか、箒やごみ袋を手にした体操服姿の子供たち。歩道や、もしくは地域の神社境内の塵を拾っていく。まさに爽やかな朝。

コスモスの風の中行く肩車      岩下和子

 少しの風にも揺れるコスモスの花はほんの一叢でも風情があるが、これはおそらく公園か、観光畑か、広い広い一面のコスモスだろう。父親に肩車された子供の笑顔が遠くから見える。夢を見ているような光景。

十月やごんべいの名の種蒔き機    髙橋初江

 ごんべいと言えばまず種蒔き権兵衛が思い起こされる。「権兵衛が種まきゃ、烏がほじくる」「三度に一度は追はずばなるまい」どこの唄とも知らず子供の頃から知っているこの唄は三重県の民話を元にした民謡だそう。なんとも剽軽な。
 掲句の種蒔き機ごんべいは農家の強い味方。動力を使わぬ手押し車式の機械らしい。軽く、正確に作業を進めることができる。農家の人には「ごんべえ」の商標はよく知られているのでは。それを一句に実らせた手柄。十月の空の下、今日は何の種蒔きか。
  
代殖やし遠流の島の鹿の子百合    前薗真起子

 淡いピンクに紅の鹿の子絞り、美しい鹿の子百合の花が南海の絶島に代々咲き継いでいる。島流しの歴史と可憐な花が生き続けているという対比に妙。鹿児島県川内市甑島が自生地として知られているようだが、あるいは俊寛の墓のある鹿児島に属する硫黄島や喜界島、また長崎の伊王島などにも見られるのかもしれない。

畑のもの並べ無月に供へけり     田村美佐江

 自前の農作物、薯や根菜類を並べて月を祀る。今日は曇り空、天気予報も無月を告げている。それでも毎年の慣い、敬虔な祈り。奥ゆかしさに心惹かれる。

秋嶺や構図定まる指の窓       森谷留美子

 両の手の親指と人差し指を直角に開いて組み合わせ四角形を作り、カメラのファインダーよろしく遠景を見る。スケッチの構図の決め方として子供の頃に教わった。作者も晴れた一日、スケッチ旅行だろうか。あるいは吟行のひまのスマホの写真撮影だろうか。もっともスマホはすでに構図設定の機能があるだろう。いずれにしても指の窓の向こうに秋澄む峰々が見えてくる。一句の切り取り方もピントもばっちり。





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令和3年「橡」12月号より

2021-11-28 12:24:55 | 星眠 季節の俳句
落葉敷きつめて尾長の無言劇 星眠
                ( 営巣期より)

 黒いベレーに黒い尾羽。ブルーグレーのジャケットを羽織り、ハンサムな尾長のパントマイム。餌探しの落葉の舞台。
             
                      (亜紀子・脚注)

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草稿11/28

2021-11-28 10:24:40 | 一日一句
集ひくる人にはなやぐ紅葉かな  亜紀子

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