選後鑑賞 亜紀子
井戸水をかけられ涼む波止恵比須 喜多栄子
恵比須様は陸では商売繁盛や五穀豊穣、海にあっては大漁と航海安全の神様。波止に祀られているのは漁師の守り神だ。東日本大震災で流され行方知れずとなっていた気仙沼の恵比須像が、復興のシンボル新恵比須像建立と時を同じくして発見され海底から引き上げられた不思議のニュースは今年の初め。
掲句は長崎の神様。長年人々から崇められ、愛されてきたのは同様だ。お暑いでしょうと、柄杓で井戸水を浴びさせてもらう恵比須さん。港の暮らしぶり、その音までが聞こえてくる。
ところで、調べてみると長崎市深堀町には佐賀鍋島藩由来で昔からたくさんの恵比須さんが祀られている由。砂岩で作られた像は補強のためにカラフルなペンキで色塗りされている。在わす場所によって「波止」「浜」「屋敷」と三つに分類されているとのこと。掲句の波止恵比須は石の祠入りでペンキは施されていないようだ。
風鈴や古きドラマの若き顔 奥村綾子
一読「お茶の間」の語が浮かんだ。畳に卓袱台、縁側の風鈴の音も涼しく。麦茶やビールを手にテレビドラマに興じる家族団欒のひと時、あるいは一人くつろぐ宵。しかしそれは過ぎ去った日々。「古きドラマの若き顔」に全てが語られ「風鈴」の語は動かない。
逃げ残る毛虫高枝に首振れる 田村美佐江
毛虫焼きは虫が孵化した直後、まだ集団でいる間に行わないと効果が薄い。知らぬ間に大きくなってあちらこちらへと移動してしまってからでは厄介だ。掲句の毛虫も少し成長していたようで、焼き尽くしたつもりが高枝の葉裏で首をもたげている。次はどこを食べようかと頭をゆらゆらさせる様が、毛虫にそのつもりはなかろうが、してやったりとこちらをおちゃらかしているようにも見える。
紫陽花の小毱順繰り揺れてをり 志水美穂
紫陽花には額咲きや洋風の房咲きなど色かたち様々あって楽しい。ここでは一般的な手毬咲き、しかも小柄な花が道に沿って咲き続いているようだ。風の毱つき遊び。作者の足取りも弾んでいる。
コロナ籠りの雨がちな日々の中、掲句に心の持ち方を学びたい。
虫啣へ親のあと追ふ四十雀 郡裕子
四十雀は随分と人の生活に馴染むようになった。身近な場所で営巣し、子連れで庭先へやってくる。作者も日々親しく小さな一家を観察していると思われる。
この子が咥えた餌は自力で取ったものか、親が与えたものか。そろそろ親離れの時期なのかも知れない。
落とし文の作製中をまのあたり 内田一枝
星眠先生の落し文の句を探してみた。
落し文卵一粒封じあり
拾ひけりポーロ像下の落し文
さりげなく霧の岩根に落し文
解きがたき落し文なり人をまつ
どの句もすでに文書き終えて封じられたもの。林を歩いていて落し文の揺籃を見つけることは間間あるかも知れないが、掲句の作者のように只今作製中の虫に出会うのはよほど運が良いのでは。
落し文の主は小さな甲虫。様々種類があるようだが、基本は餌となる葉をしっかり巻いた揺籃の中に卵を産み、孵った幼虫はしばらくはその巻葉を食べて成長する。
揺籃の作り方、事後処理の方法、虫によって違いがあるとのことだ。何れにしても小さな体で、糊も糸も使わず、手足と口だけで作られる森のスマートメール。じっくりと実際を見てみたいもの。