橡の木の下で

俳句と共に

「柿紅葉」平成31年『橡』1月号より

2018-12-25 11:34:00 | 俳句とエッセイ

柿紅葉    亜紀子

 

艶艶と秋水浴ぶる鴉どち

大夕焼け金魚に変はるいわし雲

保存樹の標あり黄葉真つ盛り

深秋や眠れる蝶の銀の翅

飛び回るほうじやく眺め日向ぼこ

文化祭もみぢの下の小商ひ

思ひ出や十一月の薔薇ひとつ

やがて音立てはじめたり冬の雨

暖冬の圍を張りなほす女郎蜘蛛

時雨るるや糸繰りなやむ女郎蜘蛛

冷まじや月からめたる女郎蜘蛛

いつよりぞ軋む門扉に柿紅葉

その日々も更地となりぬ秋風裡

老の屋の四角く並ぶ秋灯

ケア付きの秋のともし火並びをり


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「AI俳句」平成31年『橡』1月号より

2018-12-25 11:28:39 | 俳句とエッセイ

 AI俳句       亜紀子

 

 「詠み人おらず」の題で夕刊の一面にAI(人工知能)俳句の記事が出ていた。北大の情報科学の研究室で、テレビ局とタイアップしてAIに俳句を作らせる研究が進んでいるとのこと。過去に詠まれた膨大な俳句データを読み込ませ、季語や単語のつながりなどを学ばせているそうだ。パソコン操作ひとつで、一秒間に四〇句(四〇組の五七五)ができるとのこと。テレビ番組の中で、生身の人間とAIが写真を見て句を詠む趣向で対決、その後も人間俳人とAI俳人との対戦イベントが催されたという話。

 勝負の程は合計得点の微妙なところで生身の人間に軍配があがったらしい。しかし最高得点を得た一句はAIの詠んだものだったという。

かなしみの片手ひらいて渡り鳥

というのが、それ。何となく雰囲気はあるが、私には意味が分らなかった。これは、俳句というより自由詩の範疇なのではと思う。それならそれで、意味があるのかもしれない。ダダイストやシュールレアリストなら、コンピューターに飛びついたのじゃなかろうかと思ったり、ふと「カニ ツンツン」という題名の絵本を思い出したり。綺麗な色合いの幾何学的な絵柄に、意味の分らない擬音語だけの絵本で、子供達が大好きだった。読んでやる自分も毎度声色を変えて楽しんだ。しかし、AIの句はそこまで飛んでるわけではない。

 そこで自分流の解釈をして少し編集して、

引く鳥に隻手を高く振りにけり

とやってみた。片腕を失った男が、北へ帰る鳥たちに別れの手を振るという場面。かなりこじつけだが、片手は先の戦で失われたのだ。

 小学校五年、六年の担任の男の先生が樺太からの引き揚げの方だった。体育の先生で、オルガンが上手だった。月に一度お話の時間というのを作ってくれていろんな話をされた。剽軽な人で、今でも思い出すのは、樺太の冬は非常に寒く、海辺に立って日本に向かって「おーい、船方さん〜」と歌うと即座にその声が凍ってしまう。そして春になって氷が解け始めると、どこからともなく「おーい、船方さん〜」と聞こえ出すのだと。我々子供たちは半ばその話を信じてしまった。北国の人参が甘くて、畑からちょっと失敬して生のまま齧ったという話など新鮮だった。ところが或る日、先生の父上はあちらで銃殺刑にあったという話をしてくださった。もしもここに父親が出てきたら、皆には悪いが先生は皆を放ってお父さんのところへ飛んで行くよと仰った。あれから既に半世紀近くが過ぎた。AI俳句の「かなしみの・渡り鳥」という語に思いが引かれたようだ。

 我々は五七五では直接に悲しいとか、嬉しいとかいう言葉は使わないことが多い。とは言うものの、

悲しみの灯もまじる街クリスマス  星眠

は師走の街を行くとき、すぐに思い出す。

 

男手に持つ針あやし秋灯下  白楊子

梅林の谷見ゆるまで車椅子  富子

 鴛鴦俳人、白楊子先生、富子先生。白楊子先生は若い頃病のために片足を失われたが、精力的な方だった。晩年は富子夫人の介護に明け暮れながら、そして夫人を見送られてからも、俳句の手を緩めることがなかった。辞世として

満ち足りて恩愛胸に逝かんとす

と詠まれてから、しばらく置かれ、

恩愛を胸にたたみて逝かんとす  白楊子 

と推敲されたことが、遺された句帖に知られた。あえて無季と記されている。享年九十四歳。

「逝かんとす」に相馬遷子先生の辞世、

冬麗の微塵となりて去らんとす

を思い出す。

 図らずもAI俳句にあれこれ連想させられた。言葉は常にもともとの意味以上のものを含んでいる。豊かな俳句は読み手各々に豊かなイメージを与えてくれる。してみると、やはり件のAI俳句はめい句なのかも。


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選後鑑賞平成31年「橡」1月号より

2018-12-25 11:24:46 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子


残る甘藷抱へて猿山に入る 太田順子

 

 どの畑もあらかた取り入れが終った甘藷畑。季節は進む。使いものにならない藷がいくらか残されて転がっているのだろう。猿が出てきた。片手と胸の間に抱えこんで、素早く山へ戻って行く。結構大きな藷のようだ。その猿の姿態が目に見える。野生動物と人間生活のせめぎ合いはあちらこちらで大きな問題になっているが、掲句は枯れゆく時のなか、生き物の一抹のあわれさが読み取れる。

 

女学生へついと戻りし夜長かな 阿部琴子

 

 掲句ひとつを読んでみると、秋の夜長、懐かしい写真帳や、文集などを見返して思い出に浸っているようにも感じられる。しかし同時に提出された句と合わせ読めば、何十年ぶりかの同窓会の夜長ということがはっきりする。おさげ髪の女学生時代にあっという間に戻って、お喋りに興じている様子。ついと戻りしの措辞にその感が明らか。

 

身に入むやダムに真向ふ殉難碑 小菅さと子

 

 若葉、青葉の頃、あるいは紅葉盛んな頃のダム湖の周囲は美しい観光地として人気と思われる。もちろん吟行にはもってこいの場所。秋深まり冬に一歩近づいた頃、殉難碑を見ると、建設で失われた命にしみじみと思い至る。かつて治水の一貫として、あるいは発電所建設のために数々のダムが造られた。同時にいくつもの事故があったのではと想像される。黒四ダムの記憶は語り継がれているが、小規模の建設現場でも同様な状況があったのではと。

 

物干しの妻の鼻歌石蕗咲けり  佐藤雄治

 石蕗の咲く小春日和は洗濯日和。朝の光が黄の花に照り、奥さんも心弾んでいるようだ。軽い歌声を聞きながら、ご主人も一日の始まりの小さな幸福を味わっている。

 

干し竿の担架こはごは防災日  布施朋子

 

 干し竿の担架というのは、二本の物干し竿に毛布を渡し回して仕立てたものと聞いた。毎年九月一日の防災の日に行われる防災訓練。作者は担架に載せられる怪我人役を引き受けたようだ。にわか仕立ての物干し担架、運ばれる途中で落ちやしないかといささかの危惧。実はこの担架、案外しっかりしていて十分役立つとのこと。我が町内の防災訓練で活躍しているのはお年寄りだが、阪神と東北の大震災を両方経験した人が、定年で転勤を終えて戻って来られ加わった。“若い”パワーで防災意識を町内に広めてくれている。掲句の作者なども地域活動では“若者”世代だろうか。

 

降り出して草ぐさの香や冬はじめ 内山由紀子

 

 冬立つ頃、まだ冷たい感じはない。草ぐさにももみじの名残りがある。折りからの雨にその草が匂いたつ。雨には季節ごとの匂いがある。春は春の、夏は夏の。作者は明らかにどこかに冬の近づいて来る香を感じ取った。鋭敏な感覚の持ち主のようだ。

 

ハイカーの惜しみ行く尾瀬枯れにけり 渡辺和昭

 

 たくさんの人で賑わった尾瀬も、紅葉が終ればやがては雪に埋もれる。蕭条と枯れた湿原を後にして、尾瀬を愛するハイカー達がまた次の訪れを期して去ってゆく。静寂の中に枯れゆく尾瀬。その趣き深い美しさが掲句の余韻。

 

稔り田や詐欺の電話の布令渡る  市川美貴子

 

 豊かに稔った稲田。のどかで、おおらかな農村の秋と思いきや、黄金の稲穂を吹き渡るのは風ならぬ詐欺電話に注意のお布令とは。地域ぐるみ、横繋がりで警戒怠らぬのは、農村の良さが残されているということかも。

 


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平成31年「橡」1月号より

2018-12-25 11:21:41 | 星眠 季節の俳句

野の果につまづく夕日馬橇去る  星眠

               (営巣期より)

 

 一面の雪の原。一点の馬橇。一瞬、ためらうかのように沈みゆく日輪。

 昭和三十年代初めの信州菅平。              (亜紀子脚注)

 


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草稿12/25

2018-12-25 11:16:23 | 一日一句

木々の芽も冬日に顔を上げてをり  亜紀子


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