橡の木の下で

俳句と共に

「茅花」平成30年『橡』7月号より

2018-06-26 10:44:43 | 俳句とエッセイ

 茅花    亜紀子

 

生り初めは紅の素直なかりんの実

アカシアの花散り春の埋れゆく

思ひ出の苦し茅花を噛んでみる

紫の夕べあふちのひとり咲く

雨風にあふ慣ひなり若葉季

下町や夜の声漏るる網戸越し

交はりのやさしく淡し薔薇の垣

豌豆を莢ごと茹でてつまみ食ふ

蝶眠るひと日過ぎたる安寧に

茅花より白し並んで新団地

頬白の好む明るき広き空

街川の夕日汚るる薄暑かな

満載の笑顔五月のアルバムは

論じあふ俄か予報士梅雨入り前

雨音に山の日思ふ梅雨ごもり

 

 


「愛知池一周」平成30年『橡』7月号より

2018-06-26 10:41:32 | 俳句とエッセイ

 愛知池一周   亜紀子

 

 愛知池と呼ばれる人造湖がある。愛知県尾張地方と知多半島に用水を供給している愛知用水の調整のための小型のダムだ。上流にある木曽川水系の三つのダムから送られる水を溜めている。水はここからさらに下流域の農業、工業地帯に回される。日進市、みよし市、東郷町の三自治体にまたがる池の周囲は七・二キロメートル、周遊できる管理道路は長距離ランナーの練習のメッカとなっている。平成六年の国体のボート競技場となってからは、漕艇の練習や大会場としても利用されている。

 たまたま時間を得てひとり池の周りを歩いてみた。名古屋市内の地下鉄が地上へ出て、名鉄の豊田線に乗り入れると周囲の緑がぐんと多くなる。日進市の米野木駅で下車して徒歩七、八分で池の入口へ。駐車場があり、域外のランナーはここまでは車で来るようだ。女子フルマラソンに出たこともある名古屋橡会のHさんもここで練習していると聞いた。土日は混雑しているそうだが、今日は平日なので数台が駐車しているのみ。栗の花の真っ盛り、どこからか頬白の囀り。静かなものである。

 池に沿って少し歩くと、緑の堤に茅花が揺れ、さらに眼下には代田が光っている。開けた空に雲雀の途切れぬ歌声。田畑、住宅、工場が散在している様子はいかにも都市郊外の景色である。小川に小橋、その向うだろうかスキャット混じりの葭切の歌も切りもなやだ。

 足を止めることなく進んでいると、動物園でもあるのかと思うような賑やかな声がする。鳥の声らしい。湖畔の木々の茂りの間から小さな島が見えてきた。道が回りこんで島の真ん前に来ると、そこは鵜のコロニー。立ち木の高いところに小枝を組んだ巣がいくつもあり、一羽ずつ黒い川鵜を載せている。別の鵜が池の方から飛んで来る。巣上の鳥は声をたてる様子は見えないのだが、島全体が揺れるような姦しさは不思議。こちらから見えぬ角度の場所で、既に雛が孵っているのかもしれない。道をちょっと逸れて、小高い広場にコンクリート製の観音様が林越しに鳥たちを見下ろしているのがお誂え向きだ。

 桜の並木はすっかり青葉となって小径に陰を作っている。春先に歩くのも楽しいだろう。ほど近いところで老鴬。どこにいるのかと探していると水の方から不意に甲高い谷渡りのような声。ああ、鳰が顔を出している。今度は林の方からケッ、ケッ、ケッと大きな声がする。時折止んで、またすぐ鳴き始める。珍しい鳥がいるのかもしれないとしばらく木立ちの中を覗く。一向にそれらしい姿は見つからない。思い出した、あれは雨蛙。

 柵の外に楝の木が淡い花を咲かせて並んでいるのは実生で自然に育ったものだろう。暗い篁のさらに奥、大瑠璃らしい声。あるいは黄鶲だろうか。水に沿うこんな道がどうかすると外の一般道に並び、頭上を過ぎった四十雀の声がひっきりなしの車の音に変わる。日常の思いが無意識に頭の中へ戻って来る。もしも緑の中を歩き続けていれば、そのまま日常も忘れ続けてしまうだろうか。ふわら、ふわらと三筋蝶が通り私の問いかけを軽く流して消えていった。

 湖畔の道が名鉄の高架下をくぐる。池のくびれに掛かり、米野木駅とみよし市の黒笹駅を繋ぐ鉄橋。周遊散歩も終盤。とうとうほとんど人に行き会わなかった。

 焦燥に駆られる若者がいる。焦燥にはそれなりのゆえがあり、一方でゆえなしとも言える。得体の知れない辛さ。誰に替わってやることもできず、替わりのないことは本人が一番知っている。傍の者ができるのは究極にはただそこに居るということだけ。そこ、ここの池の面に突き出した朽ち木の上で亀が甲羅を干している。ぴくりともしない。私は、亀に似ている。

 池を後にして、遅い昼食をとる。インド、ベトナム、タイ料理を出す店。大手メーカーの工場の並ぶ場所柄、外国籍の働き手が多いのだ。インド系の若者がベトナム・ランチセットを運んでくれた。


選後鑑賞平成30年「橡」7月号より

2018-06-26 10:38:45 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞  亜紀子

 

開拓の名残のサイロ大夕焼  岩壽子

 

 明治時代になって本格化した北海道開拓。札幌農学校が設立されて西洋農法の普及を目指し、西洋式酪農農場が拓かれた。その時代の名残りのサイロ。歴史的建造物として保存されているものもある。掲句のサイロは何処のものだろうか。広大な夕焼け空のもと、いまでは草茂る原野に戻った大地に、人知れず傾きながらぽつねんと立つサイロを思い浮かべている。

 

きびきびと母在りし日や風炉開く 藤田彦

 

 母親という存在は自分が幾つになっても変わらない。ふとしたきっかけに強く思い出されることもある。いつもきびきびと動き、気働きにも優れていた母上。風炉を開く緑の季節になると思い出される女性であったようだ。作者もまたきびきびと働く人である。

 

薫風や臨時バス来る石舞台  香西信子

 

 奈良明日香村の石舞台古墳。修学旅行で歩いたのは何十年も昔。長閑な田園風景の中にあった。現在は公園として綺麗に整備されているのではなかろうか。しかしながら、「薫風」と「臨時バス」という語が今も変わらぬおおらかな面影を伝えてくれる。

 

若葉風吸うては吐けり肺洗ふ 倉橋章子

 

 緑の力は大きい。緑の中に立てば身も心も洗われる心地がする。掲句は呼吸に意識を向けて、吸って吐いてのくり返しで肺を洗うとは、思い切り良い表現。共感する。

木の芽食うべ六腑も青き出羽の旅 星眠

星眠先生は内臓に注目した。

 

子燕や茶団子ほどの頭を並べ 渡辺一絵

 

 巣の中か外か分らぬが、たぶん子燕は三羽並んでいるのではなかろうか。その頭が宇治茶入りの緑の茶団子の大きさというのは言い得て妙。丸い可愛らしい小鳥の頭の感じが出ている。御茶屋の軒の景色のような気もする。花見団子やみたらし団子では季節や、見た感じが合いそうにない。

 

夕風や多摩の上水みどりさす 荻野光子

 

 多摩の上水とは玉川上水のこと。多摩川に取水し、武蔵野の農地から江戸市中まで潤してきた。多摩というからには、取水口に近い上水の上流部、若葉青葉の下を流れている部分だろう。一読、暮れ方の気持ちの良い散策の時を味わう。

 

潮の香の袋ふくらみ枇杷熟るる 中村喜代子

 

 江戸時代より始まる長崎の枇杷栽培。長崎産は高級品として出回っている。中心は茂木地区。海岸線の段々畑で育てられているそうだ。青い海を望み、日の恵みを受け、大切に袋かけされた果実も熟れ時、出荷間近らしい。読者も畑に立って、潮風に頬を撫でられる感。

 

ふるさとの自給自足や木の芽和 宮下のし

 

 昔は衣食住、皆おおかた自給自足の暮らしをしていた筈である。都市部ではなかなかそうも行かず、明治の漱石ですら稲田が米であることを知らなかったそうだが、田舎ではすべて手作りで賄っていたろう。ことに食に関しては。味噌、醤油、漬け物などの保存食も手作り。それはいったいいつの昔だったろうか。ちなみに石牟礼道子の随筆集『食べごしらえおままごと』にそのへんの消息が興味深かった。掲句の作者のふるさとは未だに自給自足の生活が守られているようだ。木の芽(山椒の芽)もスーパーでトレイに並べて売られている時代に、野生の木の芽和はきっと香も格別だろう。

 

 

 

 


平成30年「橡」7月号より

2018-06-26 10:35:53 | 星眠 季節の俳句

漆黒の蛙天国医書を閉ぢ 星眠

             (営巣期より)

 

 安中の家は夜ともなれば田蛙の声に囲まれた。

掲句と共に「兄弟夫々」の題詞を付して「金魚孵し雉子を孵して怠け医師」が並ぶ。

兄弟共々半農半医と笑っていた。               (亜紀子 脚注)