橡の木の下で

俳句と共に

草稿11/27

2014-11-27 09:02:51 | 一日一句

衿立てし靴音硬き空景気  亜紀子


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「月のもと」平成26年「橡」12月号より

2014-11-27 09:00:47 | 俳句とエッセイ

 月のもと   亜紀子

 

行く先のどこも木犀香りをり

はたはたの蕗葉の屋根は穴だらけ

秋風やマリーナ裏に蜑の路地

ぺらぺら嫁菜御用邸裡に入るを得ず

浜に咲く小待宵草小さかり

そこばくの稲架かけに子も手を貸せる

漆黒のワイン葡萄の棚低し

覚めて聞く青松虫の四面楚歌

影を得て動くものなし月のもと

深秋や悩みにつどふ人の群

蝶も来て庭に羽干す台風過

杜鵑草尻尾をあげてこぞり咲く

木の実降る留学生寮けふひそか

秋果得し鵯のきりなき節まはし


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「修学旅行」平成26年「橡」12月号より

2014-11-27 09:00:46 | 俳句とエッセイ

  修学旅行   亜紀子

 

 

 末の男の子が修学旅行で岡山に行くという。ならば岡山銘菓大手まんぢゅうを買ってきてよと頼んだところ、それは何だというので、美味しい酒饅頭で作家の内田百﨤の好物だと教える。餡こものは好きじゃないし、内田何たれも知らないと言うので、お小遣いは渡すから何でも好きなものを買っておいでということになった。二泊三日で岡山の他にどこへ行くのと尋ねると、広島の平和記念公園を初日に訪れることは確からしいが後の予定は面倒くさがってはきはきしない。机の上に行程表があるよという。広島から倉敷へ行きそこで宿泊、翌日は自主研修で班ごとに岡山散策、再び同じ宿へ戻り、最終日は瀬戸大橋を金比羅さんへ渡ってから名古屋へ帰ってくるとのこと。なかなか楽しそうな旅程だが、本人は学校の旅行にはあんまり期待してないのだそうだ。それから二、三日、百﨤先生の人となりを吹き込むと息子はそれなりに面白がって聞いている。郷里岡山をこよなく愛した百﨤は鉄道で岡山駅を通る際には必ずホームに降りて足を付いたが、我が思い出の岡山を壊さぬよう駅を出ることはなかったそうだ。百﨤のユーモアに包まれた随筆『阿房列車』第一、第二の中古の文庫本を取り寄せて携えて行くよう勧めてみたところ、一人旅ならいざ知らず、友達と出かけるのに本を読んでる手はないでしょうと笑っている。『阿房列車』と一緒に頼んだ『私の「漱石」と「竜之介」』も、私が読むことになった。

 『私の「漱石」』は百﨤が師漱石の思い出を綴った短文をまとめたもの。漱石の死後二十年、変わらぬ師への一途な思いと同時に、当時の若かかりし百﨤自身を懐かしみ、かすかな疼きと切なさも込み上げてくる随筆集である。私は嫁入り前に百﨤ばかり読んだ一時期があり、ちょうど出た全集を父にねだって買ってもらった。百﨤の本の挿絵を描いた風船画伯こと谷中安規の版画の展覧会があると聞けば遠くまで出かけた。

 橡の同人にドイツ文学の泰斗関泰祐先生がいらした。関先生は一八九〇年生まれ、東京帝国大学独文科を卒業し教鞭を執られる傍ら多くの翻訳もなされた。俳句を始められたのは文学者として一家をなした後であり、父とは親子ほどの年の差があったが星眠に俳句入門したような形であった。たいへん謙虚な人柄でいわば息子のような父を敬いこまごまと心を砕いた書状をくださるというのを聞いていた。先生は戦前新潟高等学校の教授を務められたことがあり、新潟高校出身の父とはお互いに親しみを感じていたかもしれない。何かの折に父の文章はシュティフターに似ていると仰って、父はそれをとても喜んでいた。(シュティフターは静謐、客観的な筆致で自然と人間を描き出した十八世紀初頭のオーストリアの作家、風景画家)私自身は関先生に御目にかかることは一度もなかったが、父が先生を深く尊敬しているのは良く分った。

 その関先生に内田百﨤の話をしたところあまり感心されなかったそうである。百﨤も帝大独文科出身、一八八九年生まれであるから学校では先生の一つ先輩になるだろうか。百﨤のその後の行き方が廉潔な先生にはピンとこなかったのかもしれない。先生曰く、彼の初期の作品には見るべきものがあるけれど、後のものは面白くないということだったらしい。父はそう言って私の百﨤熱にも格別感心を示さなかった。後に私自身家を出るときには本を持っていくことはせず皆実家に置いていった。関先生も亡くなりずいぶんと久しくなった頃、百﨤は面白いねと父がいうのを聞いた。文章が上手いねという。残してきた本を次々と読んでいるふうであった。今は小さな冊子を手にする力さえもない父である。たまには帰省してあの頃のことを聞いてみたいものだ。

 十月の台風をやり過ごし、息子は無事に修学旅行を終えて戻って来た。たくさんの土産はお菓子ばかり、どれも岡山名物きび団子であった。カラフルな色と香りのついたモダンなものもある。フルーツの香りの団子をつまみながら「きび団子は昔ながらの味が一番だね」と怪訝な顔をしている。

 


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選後鑑賞平成26年「橡」12月号より

2014-11-27 09:00:45 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞     亜紀子

 

百年を跪座の溶岩鳥わたる    川南清子

 

 桜島は一九一四年、今からちょうど百年前、大正三年の大噴火で流れ出した溶岩により大隅半島と陸続きになったそうである。このとき多くの死者も出ている。その溶岩を擁し、海、山、空を見渡せる小高い場所が開けているようだ。周囲の巨大な溶岩塊の中にはちょうど跪いたように見えるものがある。どっしりと正座ではなく跪座と思えるのは、いまもなお活発に火山活動の続く桜島ゆえだろうか。西郷隆盛がその最期に傷ついた身体で跪き、東を遥拝して介錯を乞うたという逸話を思い出す。天は澄み、今年も季節の鳥たちが渡ってくる。

 

名月を狭き仮設に迎へけり    根本ゆきを

 

 二〇一四年仲秋の名月は九月八日であった。震災から丸三年以上が経った。今年もまた仮設住宅で月を拝む人々。三年の間にはそれぞれの生活にも変化が生じる。慣れるということもあるのかもしれないが、それ以上に様々新たな問題に直面しているだろう。詳細は述べず「狭き仮設に」の語に全てをのせる。作者は二〇一一年以来一貫してふるさと福島の状況を見つめている。

 

ひよどりの甘き声飛ぶポポーの実   貞末洋子

 

 鵯はわが町のあたりでは周年普通に見ることができる。育雛期の親子連れの姿など印象深い。けれども秋の木の実の実る頃に殊にかまびすしいこの鳥たちの鳴き声が聞えてくると、どこかでピラカンサが赤くなったなと毎年思う。漂鳥として、寒くなると集団で暖地へ渡る生態から秋の季語とされたのだろうが、私にはその鳴き声が先ず思い浮ぶ。ポポーの実は森のカスタードクリームと呼ばれるそうである。秋、地に落ちて熟すと強い香りがするそうだ。あの感極まるような鵯の声も、ポポーの実を前にしてどこか甘い音色を持ったのだろうか。

 

雲足の速きをくぐり鷹渡る  花岡昭三

 

 鷹柱を立てて上昇気流に乗った鷹がいよいよ渡りの態勢に入ったところか。「雲をくぐり」にどこか自分が鷹になって目前の雲間を抜けていくような感じを覚える。

 

夕鵙やもれなく戻る百の牛  橋本瑛子

 

 黄昏の牧場、高い梢のどこからか鵙の声、静かに追われて牛たちが牛舎へと帰ってくる。牧の安堵のひとときが「夕鵙や」の出だしにしみじみ感じられてくる。

 

新任の司祭花好き小鳥来る  菅原ちはや

 

 新しく教区に赴任して来られる司祭さまはどんな方かと、教会の世話をする信者仲間で囁かれていたのだろう。いよいよお出でになり、最初のうちこそどこかお互い打ち解けぬ感じもあったが、ふとした折りに司祭さまが花に詳しいことが分った。それは当然作者自身が花好きということだろう。教会の庭手入れについ話も弾む。おりしも目白や四十雀の声が聞えてきた。自然を愛しみ、小鳥に説教した聖フランチェスコの伝説が思い出される。

 

月天心鍵を手にして佇めり  柴宗平

 

 耿耿と月が高い。我が家に戻りつき扉の鍵を開けむとしてしばし月を振り返る。帰路、さまざまあった思いも失せ、無心に眺める作者である。

 

秋水の音の上ゆくかづら橋  谷本俊夫

 

 吊橋を渡る。いささか不安定な気持ちもある。しかし足下に瀬音たてる水の清冽なこと極まりなし。周囲の木々は紅葉し始めている。かずら橋に集中していた注意が秋の気に包まれていく。

 


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