橡の木の下で

俳句と共に

「厨体操」平成26年「橡」9月号より

2014-08-27 10:20:59 | 俳句とエッセイ

  厨体操    亜紀子

 

梅雨夕立五輪景気の湧くごとき

朝なさな蝉食ひに来る鵯親子

鷺と人青田に散りて背をかがむ

葦の辺にかけつぱなしの鰻罠

青鷺に青葦屏風広かりき

青葦の間に住吉の神小さき

鳳蝶切り絵細工の羽ひらく

鉾稚児の馬に付きゆく母おほば

鉾稚児の馬上の白き小さき顔

一朝に辻々の鉾建ちあがる

音頭とる扇の風に鉾進む

鱧鮓やひとすぢ入りて静かなる

合歓の実のぼろ吊り垂るる暑さかな

熊蝉の火中も好しと鳴きをるか

厨体操蝉も一日元気なり

秋は来るらし黄昏のたかぞらに

 


「物干」平成26年「橡」9月号より

2014-08-27 10:14:35 | 俳句とエッセイ

    物干          亜紀子

 

 北西、伊吹山の方角の空が朝からはきはきしない。昼過ぎになると雲の中でごろごろと何やら文句が聞こえ始め予報通りの夕立になった。滝水のような大驟雨。いよいよ梅雨明けかと思う。ところが翌日も同じ天気になった。その翌日も。天気予報の梅雨明け宣言は一日一日遠のく。この数年来、普段の生活では車も自転車も止めてできる限り歩くことにしている。外出の際にはその時晴れていても必ず洗濯物を室内に取り込んで行く。少し遠くのスーパーまで行ってみるつもりで家を出る。大通りを真っ直ぐ北上、並木の南京櫨の葉っぱがちらちら風に遊んでいる。やがて道のり半ばまで来たところで、ビルを撫で下ろすように大風が吹き出し、南京櫨の木は枝ごと揺すぶられ始めた。距離と時間、自分の足の速度に思い巡らし、即座に引き返すことにする。途中で歩道橋に上がって振り返った空は暗雲立ちこめている。足を早めて家の近くまで戻ったところでぽつりぽつりと雨雫。西空に一閃絵に描いたような稲妻が走り、続く轟音に首をすくめた。

 大量の雨の後も名古屋の街はあまり涼しくならない。昔ふるさと上州では今頃は毎日のように午後の雷雨が習いだった。私たち子供はまだ幼く、東京から嫁いで来た母は「上州の雷」を言い言いしながら物干の洗い物を入れるのだった。草木も地も家々も、辺り一面一斉に水を打たれ涼気が立ち込めた。大人たちは誰もその涼しさを口にした。今年は各地で激しい雷雨の報が続く。これは厳しくなった気候変動の産物のようで昔のあの夕立とは別物らしい。

 記憶に古い故郷の庭の物干は木製の柱に上下二段で竿が架けられるようになっていて、竿を下ろす時には長い指叉を使った。五月には弟の鯉幟が物干の柱に括られた。吹き流しや真鯉、緋鯉とともに当時の木綿のおむつが端午の風に翻っていた。

 我が家の子供たちが学校へあがる前によく散歩した道に少し変わった小家があり、通るたびにその庭を眺めた。門から玄関へ進む通路の低い垣に木香薔薇が香り、立ち木のいくつかは老いて半ば空洞化していたが、季節には名も知らぬ花を付けた。いろいろが珍しいのだ。草深くいつも人影を見たことがないので空き家かしらと思えば、薔薇の花壇の下草が綺麗に刈られていて誰か居るようでもある。一番珍しかったのは物干で、それは骨と柄だけのこうもり傘を逆さにして地面に立て、骨と骨の間に数本の紐を回したような格好をしていた。骨と紐ばかりのパラソルが物干と分ったのは偶然のことで、オーストラリアでは一般的な形のものらしく本来は風に吹かれるとくるくる軸が回転して、干し物に効率良く日光や風が当たるようにできている。しかしその家ではものが干してあったためしがなく、回転することもなく錆び付いているようだった。家庭を作り始めた若く盛んな時間をオーストラリアで暮した人が帰国後も回転物干に愛着を持って使い続け、やがては自身も物干と同様に古びたのだと勝手に想像していた。

 

もの干しは古き十字架桜桃忌 星眠

 

 橡八月号の主宰の作品。『テーブルの下に』で

 

子育ての頃の物干桜桃忌   星眠

 

として発表された句の原句。古き十字架の語に、腕の部分が傾きぶら下がっている木製の物干と、家庭人として背負って来た時とを想像する。雨の六月の桜桃忌との重層に複雑なひねりが生じる。四十にならずして死んだ太宰治の語彙のなかで物干という事物はどんな意味があったろうか。今月の一句を選ぶに当たり、原句をまた別の作品として捉えていいだろうかと父に問うたところ、良いだろうということになったのであった。

 もう一つ関連してすぐ浮ぶ句がある。

 

子育ての頃の幸せライラック  星眠

 

 当時ライラックはまだ珍しく、子供心にもその名前と紫の花房と、父が好んでいるらしいことが一組になって胸に刻まれた。

 


選後鑑賞平成26年「橡」9月号より

2014-08-27 10:10:15 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞  亜紀子

 

スモークツリー千の雨粒かがやけり  吉田葉子

 

 スモークツリー、別名煙りの木。はぐま(白熊)の木、霞の木とも呼ばれるそうだ。はぐまとは払子のこと。外来の園芸樹である。雄雌異株で、初夏に小さな花を穂状にたくさんつける。その花が終ると種にならない花の柄が伸びて羽毛様になり、ふわふわと煙のように見える。だいたい六月の初めから半ばにかけてのだんだん雨がちになる頃である。その花の穂がきらきらと煌めく無数の小さな雨滴をちりばめた様に思わず息を呑んだ作者の気持ちが伝わる。百でも万でもなく、千の数字が活きているようだ。S音が二回繰り返される頭韻の効果。また「千の風になって」の詩をふと思い出させる効果。「煙の木」として詠まれることが多い中であえて片仮名のスモークツリーを用いたことで、クリスマスツリーのイメージに結びついて雨粒の光がさらに活きてくるのかもしれない。

 

ひと鍬に卵の割れて蛇生まる     立林きよの

 

 野生の蛇の卵は見たことがない。種類によって生態が異なるから産卵場所もそれぞれだと思われる。掲句は畑の土を起こしたところに卵があったようだ。一番それらしい蛇を図鑑で調べてみるとジムグリという種に行き当たった。畑や山林に多く、大人しい性質、半地中生活で小さなほ乳類を捕食。人間には農作物の害獣を食べてくれる有り難い存在とある。珍しい瞬間に立ち会った作者が、蛇を斥けずにやさしく詠んでいるのはこの畑人と蛇の共存ゆえか。生まれたての小さな細い蛇の子は可愛いのではと想像もする。何も悪いことはしないから、そっとしておきなさいという声が聞えてくる。

 

涼しげに働き蜂の巣にかよふ     熱田泰華

 

 少し動くと汗ばむ頃。蜜蜂は透明な羽に小さな機械音を響かせてひっきりなしに蜜集めをする。朝日とともに動き出し日暮れまで、倦むということがない。そうして巣箱へすいと吸い込まれるように入って蜜を運ぶ。木の花、草の花が溢れる緑の季節。本当に涼しげに働く蜂たちである。

 

橅の花猿が食みをり白布径      村山八郎

 

 橅の花の開花は五月頃、若葉の開くのと同時だそうだ。柔らかい緑の橅林の佇まい。猿がその花を食べるというのは観察した人でないと分らない。白布(しらぶ)は山形県米沢に古くからある湯治場。その名の由来は、白い斑のある鷹が居た、温泉が白布のように流れていた、アイヌ語で霧氷のできる地シラブの宛て字等諸説あるらしいが、掲句からはあの白く、模様も美しい橅の木肌の形容のように思えてくる。

 

軒下の箱苗早もなびきをり      岩見和子

 

 トレー(箱)に蒔かれて育った稲苗、今は田植え機にセットしていつ植えても良い状態なのだろう。まだ小さいながら青々と丈夫に育ったようだ。農家の軒先に並べられた箱苗が風に吹かれている様に、のびのびと植え付けの終った植田の様そのものを想像する作者。良い苗に仕上がって先ずは安心というところ、農の心だろう。

 

早乙女の一列映す田の面       藤田彦

 

 五穀豊饒を祈って各地に伝承されている御田植祭。それぞれの祭りで一連の神事があると思われる。早乙女による御田植えの神事はその中核。菅笠をかむり装束を身につけ、唄や舞を演じていよいよ田植え。一列に並んだ娘たちの白い脛、早乙女装束姿が水の面に映るその一列だけを詠み上げて印象的である。