小さき蚊にしては大きく鳴きにけり 亜紀子
子鴉 亜紀子
朝湯して五月連休終盤戦
するすると縄立つごとき松の芯
今年はも粽小さくなりにけり
蝿虎ももの考ふる机上かな
つどひ来る日比谷に緑感謝祭
新緑を裾に明るき雪の富士
青嵐や鴉双翼かがやける
椋鳥夫妻野盗鴉を追ひはらひ
つぎつぎに若葉しづくと四十雀
いつも見る小窓に梅雨の兆しをり
やうやくにリラの咲けりと便り来る
青蔦の照りわたり暑の俄なる
子鴉の高き梢の胴間声
まだき 亜紀子
この一日二日、近所の軒端で鴉と椋鳥の追いつ追われつの抗争が繰り広げられている。椋鳥の巣を鴉が狙っているらしい。椋鳥は普段聞いたこともないような鋭い声をたてて鴉を追い払う。鴉はなかなかその場から離れようとはしない。鴉は利口で四季折々に面白く愛嬌のある鳥と思うのだが、母さん椋鳥の数倍もの翼をたわたわ言わせ、一声も発せずふてぶてしい様子がちょっと憎らしい。しかし鴉にしても椋鳥同様今は子育てに必死なのである。
街路樹やそこいらへんの庭木、小さな鎮守の杜など、街中でも緑がいよいよ生き生きしてきた。一日が俄に長くなっているのが感じられる。新聞によれば日の出は午前四時半頃であるが空はもっと早くに白むように見える。鵯が毎日夜明け前にひとり歌う。さては子育てが一段落したのだろうか。やや遠くの方から覚めやらぬ路地に朗々と響く。輝かしい一日を約束してくれるファンファーレ。どこか高原の森に目を覚ました気分。その昔連れていってもらった梅雨入り前の森の夜明けである。幾種類もの囀の重奏。黄金の一刻。あの頃の父がちょうど今の私くらいの年齢だったろう。
私は歳をとってから朝はいくらでも早く覚めるようになった。子どもの頃、お年寄りが午前三時半くらいには目が覚めてその日が始まってしまうというのを聞いてずいぶんびっくりしたことがあったが、今は自身の体のリズムがその通りになってきたことに驚いている。その代わり、夜更かしができなくなった。もう少し若かった時にはどんなに遅い時間でも何かしらまとまった事がやれたように思うのだが。むしろ皆の寝静まった後が自分の世界であったのに、この頃は夕食の片付けが済み、散らかった部屋を整理すると既に眠気が忍び寄っている。たらたらと起きてはいるが、新聞を読むのさえ覚束ない。どうかすれば若い人たちにお休みを言って先に寝てしまう。夜泣きの酷かった赤ん坊を寝つかせてから、夜鳥の声をしみじみと聞いた日々は夢の彼方になった。ときにどうしても必要から夜更かしすることもあるが、その翌日は一日中頭が動かない。
童謡にあるどこかの島の王様のように、日の出の早くなるにつれて自分の起床時間も早くなってくる。厨窓の外格子が蔦の若葉にすっかり覆われたので、朝日は葉を透して誰も居ぬ台所の流し台に緑の光りを投げかける。くだんの鵯の歌が聞こえてくれば、私もひとり小さな王様である。それから一日遅れ、ときには二、三日遅れの新聞をおもむろに広げる。ニュースとは名ばかり、それで事が間に合ってしまうのも歳をとったということだろうか。
ところがこの二週間ほどはいささか事態が異なった。目を覚まして階下へ降りてくると、既に先客が居る。幼稚園へ実習に行く娘が、前日の日誌を書いている。早起きして日記付けをしているわけではない。昨晩から夜通しやっていて、これから寝るところだと言う。寝不足のまま実習に出て何か間違いでも起こしたらいけないと思うのだが、それは本人も百も承知の上、それでも日々の記録や反省、指導案などを書かないわけにもいかないらしい。楽しそうな顔をして帰宅するので、何とかなるだろうと静観。そのうちに下の男の子の定期考査が始まり、こちらは日頃の怠慢から俄勉強をするのだからやっぱり眠れない毎日になった。一日二日は何とかなっても、一週間も続けば身がもたない。無法な収容所でも睡眠の剥奪は過酷な拷問である。二人とも冴えない顔色に、ぽつぽつとにきびが浮かぶ。手伝ってやることもできないので、せめて消化の良い食事をと考える。食欲がない、胃が痛いとぼそぼそ言いながら、どちらも好きなものはちゃんと食べ、苦手なものを残している。睡眠剥奪といっても期限付きであるから、滑り込みセーフで乗り切るのだろう。
音感はあまり感心しないが「まだき」という言葉が好きである。正確には「朝まだき」、早朝という語が気に入っている。朝もまだ不完全、未だしということかと思う。これから始まる今日と言う日に静かに心躍るのである。
選後鑑賞 亜紀子
落葉松の新芽こぞれり小屋泊 松本美貴
落葉松は亜高山帯から高山帯に育つ落葉針葉樹。新緑も黄葉も美しく、信州には良い森がある。北原白秋の詩が思い出される。白秋の落葉松林は旅路の寂しさの象徴だが、掲句は高原の早春の明るさを詠っている。こぞれりの語に、山仲間との小屋泊の楽しさが伝わってくる。主宰星眠の森の家時代を思わせられる。
母の日やビルの一隅花舗明り 前田美智子
ビル街のなかの一角にある小さな花屋。勤め人や買い物客が通りすがりに記念日や見舞いの花束など買い求めて行くのだろうか。今日はたまたま母の日の赤いカーネーションが目に留った。そうでなければ作者もただ通り過ぎてしまったのかもしれない。花舗明りという言葉に行き交う人々の情景と、一隅の花屋のやさしい佇まいが見えてくる。
欄干に犬も手をかけ雪解川 深谷征子
二月の大雪は各地に多大な影響を与えた。未だかつて見ぬ積雪に備えのなかった土地柄ゆえ、社会生活に甚大な支障をきたした。掲句は滞っていた物資の流通や郵便も正常に戻り、その後しばらくした頃の景色だろうか。雪解水で嵩増した川の流れも珍しいことなのだ。散歩の途中で橋上に佇み、川上、川下を眺め渡す。一緒の犬さえ、なにか思いがあるようだ。漸くめぐり来た春の訪れに安堵する。
愛鳥日おしやべり幼な付いて来し 清家由香莉
野鳥保護思想の普及のために五月十日から十六日の一週間が愛鳥週間と定められている。愛鳥日は五月十日ということだろう。「愛鳥」とは言い得て妙。若葉の美しい季節、鳥達の恋の季節、戸外へ出て自然に親しむにはもってこいである。各地でイベントが開催され、掲句の作者も日頃仲良しの幼い人を伴って、そうした催しに参加されたものかと思われる。おしゃまさんの道連れの、それこそ小鳥の囀りのような天真爛漫のお喋り。
斎場へ山路燈して油瀝青 藤牧紅林
現代風の斎場であろうか。どこか里山の山陰に建てられたものと思われる。春まだ浅く辺り一帯は枯れ山の景の中で、油瀝青(アブラチャン)のみが黄色の小さな花をそこここに咲かせている。それが哀しみの儀式へ導いてくれるともしびのように思えたのだろう。どこも駐車場完備の御時世であるから作者も送迎バスなどで向かったことと想像されるが、灯火を手に、一歩一歩山路を辿っているかのような感じもする。
野火止源流数の虎杖まくれなゐ 井上裟知子
野火止用水は東京都の玉川上水から分水され、埼玉の新座市(野火止)、志木市を通る用水路。一七世紀半ばに江戸幕府老中松平信綱によって開削され、水に乏しいこの地に恩恵がもたらされた。長年にわたり流域の人々の生活を潤してきた用水も戦後は水質の悪化が進み、一旦は玉川からの取水が停止され暗渠化も進んだそうであるが、県と新座市が用水文化を守るべく水質改善に努め、また流域住民の清掃ボランティア活動にも支えられ、現在は再び清流として復活しているようだ。野火止用水巡りの八キロメートルほどのコースが整備され、途次にある緑地公園など市民の憩いの場になっているそうである。作者もこのコースを辿ったのであろうか。流れに沿う早春の地に、夥しいイタドリの紅の芽。野火止という、何やら火にまつわる伝説を持つ地名にも通う色。まくれなゐの語が効果をあげている。