橡の木の下で

俳句と共に

草稿07/27

2013-07-27 10:43:14 | 一日一句

草刈るやまづぬかりなく身ごしらへ  亜紀子


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「蝿虎(ヨウコ)」平成25年『橡』8月号より

2013-07-27 10:38:40 | 一日一句

  蝿虎  亜紀子

 

もちの花降る漆黒の孔子廟

部屋隅の蝿虎呼び合ひ出できたる

フラメンコギター蝿虎の立ち上がる

梅雨の雷鼓を打ち草木立ちなほる

軽鳧の子のなかの一羽の母さん子

何捨てて鉄路青野に入りゆくや

神の木の蛇に鶏卵供へあり

祀られて蛇大楠に籠りをり

空色の禰宜の袴も梅雨晴間

ぎしぎしや宮の渡しの波七里

青田波分けて鉄路の伊勢詣

五十鈴川合歓の初花影ひたし

架け替へし橋もやや古りかじか笛

樹々にこそ神宿りをる梅雨の宮

三光鳥歌尻ひとつ残し去る

初蝉の音もなくたちて殻残る

戯れに蒔きし西瓜に瓜葉虫

 

 


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「夏」平成25年『橡』8月号より

2013-07-27 10:34:57 | 俳句とエッセイ

  夏  亜紀子

 

 五月大会の折、お隣の席になった山下喜子先生から根岸の子規庵の糸瓜の種を頂く約束をした。喜子先生の周りでは俳句の種をはぐくみ広げんと、皆で分けあって育てているとのことだった。我が家の庭に鉄製のアーチがある。子供らが小さかった頃、朝顔やゴーヤの苗を育てたものだ。しばらく使わずにあって、雨上がりの傘干し場になっていた。春になる前に庭木を伐ったので、それまで日陰になっていたアーチにも十分日差しが届くようになり、今年は何か育ててみたいと思っていた。ご近所の庭を眺め歩いて、木香薔薇や凌霄花がいいなと考えたり、一年草を植えて年ごとに変えるのも楽しそうに思えたりで、結局傘干しのままであった。子規庵の糸瓜と聞けば何か特別な感じがして、是非にとお願いした。

 寝屋川のYさんが蓄えておかれた種を十数粒送ってくださった。小さなプラスチックのポットに一つずつ蒔く。同時に西瓜の種、これはスーパーマーケットで買って食べた紅小玉も、戯れに蒔いてみた。既に五月も終りに近づいてからの種蒔きは少し遅いかと思われたが、毎日楽しみに水を遣る。

 娘が苗から育てている一本のトマトは急激に大きくなった。脇枝を伐らなかったのでバランスを崩したまま次々と花が咲き、青い実をいくつも付けている。やはりいつか実を取りたいものと、食べ残しの種を蒔いたドラゴンフルーツの小さな芽から、長いことかかってようやく仙人掌らしい茎が立ち始めた。成長すると十メートルにもなるそうだが、今は一センチにも満たないのが、相応に刺のある仙人掌のなりをしている。昨秋、吟行で顔を合せた八王子のHさんにいただいた赤地に縞模様の沖縄雀瓜もいつの間にか発芽して、ほんの少しずつ大きくなっていく。植えた覚えのないヒメオウギズイセンはおそらく前の住人の置き土産だ。一度は絶えかかったのが、今年はたくさん茎を伸ばして濃い赤橙色の花が咲いた。同じ草むらから徒長した鬼百合も数が揃い、ひょろひょろながら蕾が膨らみ始めた。対照的にアカンサスは日を受けて、広げた緑の葉の中心にがっちりと白い花の柱を立てている。名前をよく間違えるアガパンサスは花茎を伸ばしながら、まだ葱坊主のように閉じた苞に青紫の花を隠している。統制のとれない庭は路地に面した軒下を少し拡大したほどの広さである。文字通りところ狭しと鉢物の並んだ下町の軒先の様相だ。

 根岸の糸瓜はなかなか芽を出さない。西瓜の芽はいとも簡単に出て、ずんずん大きくなり、鉢を這い出し黄色の小花を付けた。どうやって嗅ぎつけるのだろうか、瓜葉虫という甲虫が飛んできて葉っぱに穴をあけるので、見つけてはつまみ出す。ようやく一つ、糸瓜も顔を出した。本葉が数葉になったところで鉢を広げてやり、秘蔵っ子として大切にする。逞しくなってきたので、くだんの鉄のアーチの下に地植えする。残りの糸瓜のポットはうんともすんとも言わぬので、処分しようかと思った矢先、十幾つの芽が一斉に出始めた。もうこれ以上広げるスペースもないのでそのままごちゃごちゃとお喋りしている。

 不意と故郷の庭を思い出す。夕暮れ時、吟行先で拾ってきた何やらの種を蒔いて、黙々と鉢を運んでいた父の作業帽の姿。思い出すというのは頭に考え浮べるのでなく、突然に、当時そのままの情感に身を包まれるような感覚である。

 近くで鋭い鳥の声がする。鵯に似て、鵯よりも乾いて掠れた、焦燥感に駆られるような鳴き声だ。小啄木鳥の警戒音。この声の主が長年分らなかった。春先に偶然、子連れの親がこの声で鳴き立てて梢を出てくるのを見つけ疑問が解けた。思ったとおり一羽の小啄木鳥が、何と電信棒から飛び立った。

 夏はこうしてやって来る。いや、夏がやって来るのではない。とりとめのない事実のそれぞれに夏がある。おのおのが夏そのものなのだ。思い出さえも今この瞬間に感じている、紛れのない具体として。夏が来たよと一括りの言葉でなく、一つ一つの夏そのままを言葉にして伝えたい。

 


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選後鑑賞平成25年『橡』8月号より

2013-07-27 10:30:27 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子

 

防火訓練病者夏野に吹き溜まり 長濱か乃

 

 病院における定期的な消火・避難訓練は消防法で義務づけられている。掲句はどこか郊外の広い空間に建つ病院であろうか。自力で参加できる患者は着の身着のままで出てくる。あるいは点滴スタンドを引いている患者もいるだろう。ベッドを降りられぬ人は仰臥のまま連れ出してもらう。周囲の青野を渡る風が集合した患者の頬を吹いてゆく。工場や大型商店などの訓練ではなく、病院の訓練の様が、吹き溜まりの語に描かれている。

 

木の間より落ち行くさまに巣立ちけり 本位田水尾

 

 成長した雛鳥の巣立ち。巣を飛びたつと表現する。実際は掲句のごとく高さを利用して下方へ落ちるさまで巣から離れるようだ。本格の飛行訓練はこれからである。木の間がくれの巣立ちの情景をよく観察し、無駄のない言葉で詠んでいる。

 人の子が故郷を後にして飛び立つのも、いきなり新しい世界へ飛翔するのではなく、試行錯誤しながらも一歩づつ歩を進めて行くことかと合点した。

 

田植機の大きく傾ぎ乗込める 内田克己

 

 動力付きの田植機には、人が歩いて進む歩行形と、人が乗って運転する乗用形とがある。畦から代田に入るとき、大きく傾いだ掲句の田植機には人が乗っているような感じがする。大きな田植機が傾いた瞬間、思わず声を上げそうになったのでは。ひとたび田に入れば泥に嵌ることもなく、規則正しく植え付けを進める機械はたいしたものと思う。既に終了した田もあるだろう。農村に日本らしい景色の整う頃。農家にとっては繁忙きわまりない季節。乗込む(のっこむ)の語が効いている。

 

万緑や大蛇くねりの高野線 藤原省吾

 

 高野線は大阪市内から和歌山に入り、真言宗の霊場高野山へと繋がる路線である。大阪から和歌山県橋本までの区間は住宅地を通る通勤路線であるが、橋本駅から極楽橋駅間は山岳路線になる。ことに高野下駅以南は時速三三キロ、急勾配、急カーブ続きの登山鉄道となる。大蛇くねりはこの区間かと思われる。緑深い山中に分け入り、大蛇行する鉄路に揺られていく。高野山には弘法大師空海が毒の大蛇を封印したという言い伝えがあるそうだ。そんなことも考えながら、やがては高野杉の森の霊気に包まれたことだろう。

 

遊びくれし兄は青葉に隠れけり 保崎眞知子

 

 幼き日、青葉の眩しい季節、何の愁いもなくひたすら遊んだ兄妹。鬼ごっこ、かくれんぼ、年上の兄さんは小さい妹を上手に楽しませてくれたのだろう。季節はめぐり、人は老い、隠れん坊のそのままに、兄さんは緑の林のいづこへ行ってしまったのだろうか。

 

蓮の葉に菩薩気取りの青蛙 井上裟知子

 

 一切衆生悉有仏性。浄らな蓮の台にちょこんと乗って、小さな青蛙も仏そのもの。大きなはちすの葉とちび蛙の緑が清々しい。天上のそよ風も渡るような。

 

一列に鴉水飲む植田かな 深谷征子

 

 郊外を散歩していると、こんな光景に出会うこともあるのだろう。晴天が続いた梅雨とも思えぬ暑い日だろうか。既に田んぼには青い苗がきれいに整列している。その植田の苗よろしく、畦に並んだ鴉が水を飲んでいる。丈夫そうな嘴、太い喉である。

 


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