橡の木の下で

俳句と共に

草稿06/27

2012-06-27 10:00:29 | 一日一句

合歓の花をりをり鳰の水走り

葭切や帰りはいつも雨催ひ

亜紀子


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平成24年「橡」7月号より

2012-06-27 10:00:27 | 俳句とエッセイ

 五月   亜紀子

 

 

若かりき眠かりき五月ありにけり

橡咲いて宝ジェンヌを追ふ乙女

かほほりがノック連打の音に出づる

山あぢさゐ瑠璃深まれば雨がちに

夜ごと出て守宮もの言ふ厨窓

薔薇盗人夜明けの花を愛でをらむ

鵯の人を怖ぢぬは子なるべし

黄鶲やキャンパスの森深からず

あぢさゐはががんぼ館踊り出て

青蔦を洩るる月あり稿措きて


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「美容院」 平成24年「橡」7月号より

2012-06-27 10:00:25 | 俳句とエッセイ

 美容院   亜紀子

 

 郊外へ地下鉄が延び、これまで足の向かなかった地域へ簡単に行けるようになった。Iさんが開業された美容院もそんな所にある。トンネルは通じたが最寄り駅からまたしばらくあるそうで、車で来ることを勧められていたのだけれど、初めての道は苦手だし、運転は両手、両眼が塞がれるようで億劫で電車を利用する。

 エレベーターのドアが開いて駅の口を出ると、少し乾いた五月の風が頬に当たった。駅前の道路はどこにもある自動車道だが、道沿いには飲食店が目立つ他は総じて静かで、緑が多い。歩き始めるとすぐに小さな畑があり、その向うに池を擁した公園が見えた。花の終った大きなクヌギの木の青葉が水を渡る風にそよいでいる。公園から逸れ、緩い坂道を地図を片手にひたすら歩く。後ろからきたバスに追い越され、やはり車で来た方が良かったかしらと思う。

 近所の美容院でいつもお世話になっていたスタッフのIさんから独立の話を聞いたのは一年半前。少し遠くなるみたいだけれど、きっと行くからねと軽く答えていた。華奢なお嬢さん然としているIさんは多分三十になるやならずであろう。自分は美容師になるために生れて来たと言う彼女は一途にその道を進んできたそうで、仕事をしていれば楽しいらしい。一日立ちっぱなしで疲れたことがないという。細い手指が荒れるでしょうと聞くと、シャンプーを繰り返しても、強い薬剤に触れても手荒れをしないのだそうだ。すらすら話しながら、流れるように鋏が進んで、仕事は早い。それでも聞けば、新米の頃はお客さんに話しかけられると手が止まってしまったのだという。美容師は鋏を入れる前に頭の中で仕上げまでの展開図を描いて、何処を何センチ何度の角度でカットしていくか、全て決定しているそうである。初めての頃はお喋りするとその設計図が飛んでしまい、頭の中の整理がつかなくなって困ったのだそうだ。

 簡単に進むように聞こえた独り立ちの計画はその後頓挫と練り直しを経て、一時はブース間借りという方法で仕事をされた。その間にIさんが独立の決心をされた経緯、若い女性が起業にあたってぶつかる困難などぽつぽつと聞いた。

 ようやく辿り着いた自宅一階を改装したお店は、小学校と小さな公園を二面に向かい持つ住宅道路の角にあって、入口に飾られた花鉢でそれと知られた。鏡二つ、洗髪台一つ。Iさん一人の仕事場としては効率的で使い勝手の良いお城のようであった。窓から見る公園に沿う桜並木にぼんぼりが吊るされている。八重桜で、花の宵には灯が点ったそうだ。客の中には家族三人でやって来て、お母さんの番の時にはお父さんが子供さんと公園で遊び、またその逆をやって、仕事休みの小一日かけて皆で奇麗になって帰って行く人もあるという。殊更に宣伝をせず、口コミと私のような旧知の客の予約が主であるが、ぼつぼつ近隣の新しい顧客も入れているとのこと。便利な街中を遠く離れるプランに初めは迷いながらも覚悟を決めたという背景には、それなりの勝算があったのだろう。今はすっきりとストレスもなく、毎日が充実していると朗らかな彼女に、子供の話など少し聞いてもらう。世代がだいぶ若いせいか私などよりよく分かるらしい。そうこうしていると静けさそのものといった昼間の住宅地に砲音が轟き、何事かと驚く。公園に朝からポン菓子屋が来ているという。なんとも懐かしい響き。

 帰りは近道を教えてもらう。所々に梅畑など拓けていて、長閑である。やがて朝方通り過ぎた池のある公園に出た。往きに見た対岸に立つ。来る時には分からなかったが、この辺りはそもそも湿地であったらしい。こちらからは青葦が茂った岸辺が見渡される。そのどこかにヨシキリが一羽、辺り憚らず興に乗じて歌い狂っている。今年初めて聞いた。いやここ暫く聞いた年がなかった。この次は双眼鏡持参で来よう。ヨシキリの雨乞い唄か、俄かに雲行きが怪しくなり、姿は見つけられぬままに慌てて地下鉄の暗い入口に飛びこんだ。

 


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選後鑑賞平成24年『橡』7月号より

2012-06-27 10:00:23 | 俳句とエッセイ

橡7月号選後鑑賞    亜紀子

 

ほつほつと峡に灯点り初蛙  宇井真沙子

 

 谷間の村の日暮れは早い。それでもこの頃は、その狭い空がいつまでもほの明るい。季節は既に変わっていたことに気がつく。南面の棚田には水が入った。そうしてもう水の面は暗いのである。いつの間に、あの家の窓、この家の窓、小さな集落の一軒一軒に灯りがともっていく。耳澄ませば蛙の唄。やさしく、どこか遥けき響きである。

 初蛙の趣を十二分に伝え、せつないほどの郷愁を覚える。

 

カステラのざらめ楽しぶ暮の春  大谷孝子

 

 カステラの底の粗目糖のしゃりしゃりした歯触りと甘み。切り分けた一切れの、お砂糖のたくさん付いてるのを頂戴と子供たちが欲しがった頃が甦る。楽しむでなく、楽しぶの一語が発見。昔祖母が「冷たい」をつべたいと発音していたことを思い出した。こちらはつめたいが先で、つべたいが派生のようである。いずれにせよ、楽しぶは懐かしい音感であり、一句を微妙に左右している。

 カステラの焼き底に粗目糖が付いているのは、生地に混ぜ入れた一部が焼いている間に沈殿して底に残ったものだそう。その残りの割合と、またこの粗目のいくらか溶けて角が取れている加減とが、こちらも微妙に口触りにかかわるところのようである。

 

セザンヌの空に櫟の花咲けり  池田節子

 

 セザンヌの空とは思い切った表現だ。櫟の花のそよぐ頃、信州の空もそう言われればセザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山の絵の中の色をしている。南仏の山の前景には松の木が立っていたが、こちらは雑木林のクヌギの木。その花房が垂れ、緑の若葉も萌え初めると、信州の春は進み、あたりは緑一色になっていく。美しい土地である。

 

豆植ゑてカムフラージュの草撒けり  釘宮幸則

 

 権兵衛が種撒きゃ、鴉がほじくる、という唄があったか。昔、豆ではなく、トウモロコシを撒いた畑に土鳩が降りるのを見たことがある。トウモロコシの種には薬剤処理がされていたのだろう、赤色に着色されていた。そうして、人のまだ出ぬまだきの畑の畝を切った黒い土の上には、数羽の鳩の屍が転がっていた。

 さて作者の畑は自家用無農薬栽培といったところか。撒いたばかりの豆を守るためにこういう方法があったとは。

 

栗の花ただ一軒へ郵便夫     島崎珠子

 

 栗の花咲く山里の、谷越え山越え一本の、細道行けば一軒家。今日の手紙を待っている。掲句、郵便夫という言葉がそれだけで懐かしい物語のように聞こえてくる。

 安中の俳人、故石井秋村さんは長年郵便局に勤められ、職を辞されてからも愛車のバイクで各地の句会に赴かれていた。父のところへもよく寄ってくださり、パタパタというバイクの音ですぐに分かった。この句から、あの音が耳に響いてくる。

 

春暁の搾乳の湯気立ちのぼる  後藤八重子

 

 薄暗い牛舎の夜明けはまだいささか冷たい。灯りのもとの乳搾り。音立てて絞り立ての乳が桶に満ちていく。立ちのぼる湯気が白く光って見える。やがて窓から差してくる早春の朝日。立ちのぼるの一語が、開始した今日一日と、巡り来た季節の期待と喜びを伝えている。

 

 

 

 


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