Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月26日 水曜 ノーパン

2015年08月26日 | Weblog
自転車を再び買おうかと思っている。
狙っているのはノーパンクタイヤのもの。
ネットの評価を見ると、重い、遅い、扱いづらいと散々。
でもさぁ、きちんと空気を入れて、気をつけて走っているのに2週間に1度は必ずパンクするという悪運強いものにとっては、重かろうと遅かろうとパンクしないというのは最大の魅力なんだよ。
悪評価を与える人の多くが”自称”自転車通で、そんな人の理想はきっと身の程知らずのロードレーサーなんだろうと悪態をつきたくなる。
重かろうが遅かろうがエンジン(脚力)さえ良ければ問題ないじゃない?
力を込めてこげばいいじゃない自転車なんて。
楽しようなんて思わなければパンクから解放されるんだよ。
そっちの魅力の方が大きいんだよね実用派には。
ところが意外とその手の自転車を扱っているお店が近くに見つからない。
そこんとこが問題だよ。



江尻町の街並み 1
静岡県静岡市清水区江尻町
撮影 2014年12月27日 土曜日 15時40分
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8月25日 火曜 自治

2015年08月25日 | Weblog
家人が近所の人との会話で、歳を取ってきたので自治会の役員が回ってきたら自治会をやめるなんて話を聞いてきた。
どうしたもんだねぇというので、自治会なんかいったん解散してしまえばいいんだと答えた。
例に漏れず、我が家の近所も老齢化の波でサーフィンし、ただでさえ自分の体さえも満足に動かない状況で、自分たちの”班”とその”上”の組織と、さらに”上”の組織の事を”役員”として担っていかなければならないというのは実際つらい。
”自治”などと言っているが、やっている事は上意下達の”自治体”の下請けで、自治会費だって一部上納されている。
そういう形の中に「自主的」に参加している事になっている。
だったら自分の体もつらいし、みんなに迷惑もかけるしと、自治会をやめる”選択肢”を選ぶ人が増えるのは時代の流れというものだ。
自治会をやめづらいのは、単にごみ捨て場の問題と、近所のてまえだけのことだ。
それでも自治会を抜けたいと思う人の気持ちを考えれば、そもそも論で”自治”ってなんなのさってことを考えるしかあるまいし、そういう時代になったということだ。
そういう考えがあるから、いったん解散してみたら?というのだ。
それで自分たちだけで自治会を作り、自治をしていけばいいのだ。
基本的にすることはごみ捨て場の掃除だけだろ。
”上”の組織に組み込まれる必要もないし、寄付金集めに走る必要もないし、”連合”として合同で何かをする必要もないし、回覧板を回す必要もない。
もちろん飽食の時代だから「配給」のお知らせを回す必要もない。
ただ自分たちだけで自分たちの地域を住みやすいようにしていけばいいのだから楽だろう。
それでなんの問題があるのか?
”役員”を勤められないから脱退するという本末転倒の話より、ずっと正当な話だ。
自治をするのに何かの組織の下部に組み込まれる必要はないし、もちろん”自治体”に許可をもらう必要もない。
自治は勝手にみんなでやっていいのだから。
それを何か勘違いをして、加入しなければならない団体みたいに振舞うから、そこからはみ出したり、落ちこぼれたりした人を切り捨て、存続すること自体に価値をおく変な組織になってしまうのだ。
これからの時代は、ごみ捨て場の掃除当番だけする自治会の時代なのだ。




西前銀座商店街
神奈川県横浜市西区中央2丁目
撮影 2014年12月30日 火曜日 15時05分
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8月24日 月曜 スーパー

2015年08月24日 | Weblog
仕事帰りにスーパーに寄ったのは豆乳を買うため。
豆乳を飲んで腹を満たそうという作戦。
もっともそれは朝のこと。
朝一杯の豆乳で満腹感を得られるのではないのか作戦だ。
売り場を見ると様々な種類のものが売っていて、どれを選ぼうかと成分表示を確かめる作戦。
結局麦芽入りの”初心者”向きのものに。
健康のためとか、やはり本物をとかの考えはなし。
少しだけ空腹だけど、という時に小腹を満たすためのもの。
ついでに買った飲むヨーグルトを飲みながら帰宅。




中村町の街並み 1
滋賀県近江八幡市中村町,桜宮町
撮影 2015年3月21日 土曜日 10時45分
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8月23日 日曜 読書三昧

2015年08月23日 | Weblog
家人がテレビに飽きたのか小説を読み始めたので、つられて読書。
寝転がって読むのだけれど、謎の目の不具合のためにメガネを外して読むと距離感がちょうど良い。
その代わり目が疲れるので、少し読んでは寝て、の繰り返し。
オール讀物を読み終えて、電子書籍に移るが、ハングアップの繰り返し。
どうもデータ転送の際に壊れてしまうものが混じり、それが動作の邪魔をするような気が。
小説誌を数冊読んで、気がつけば夕方。
家人は読み終わらず。
一日、あるいは数日費やして僅かな金額しかかからないのだから、読書は安い。

最近どうも体調が思わしくないので血圧計。
きっといつの間にか高血圧になっていて頭がボッとしたりするのだと思っていたが、結果は最高血圧が何度測定しても110以下。
血圧が低くてボッとするのね。



西国街道 安満の街並み
大阪府高槻市安満東の町,安満中の町,安満西の町,安満新町,別所新町
撮影 2014年11月22日 土曜日 14時50分
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8月22日 土曜 証明写真

2015年08月22日 | Weblog
たまに証明写真を撮ることになるのだけれど、確認したくもないけれど、撮るたびに華麗な加齢を感じることになる。
ちなみに今夜はカレーうどんであった。
何年かごとのその写真には、どこのオッサンやねんと思う顔が写っているのだけれど、それぞれにその時の事情が写し出されているようで興味深い。
極悪非道な顔、苦悩の顔、不安げな顔、疲れた顔・・・
今回の顔にはオッサンからジイさんへの変化が如実にあらわれている(笑)。
あんな可憐な少年の時代もあったのにと自分で自分の人生の長さに気がつき、なんだかなぁと思うことしばし。
できることならもう一度少年に戻って・・・などとは絶対に思わない。
できるだけ早く時間が過ぎて欲しいなぁと思うのは、結構うんざりしているからであろう。
そんな気持ちに振り回される年頃でもないのは、目の前に可憐なジョシがあらわれたら、コロッと心などウキウキに変わってしまう軽薄さを自覚しているからである。
そういう自覚こそが人生の重みを表現する元となっているのである。



萩中通り商店街
東京都大田区萩中1,2丁目
撮影 2014年12月28日 日曜日 17時30分
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