Nonsection Radical

撮影と本の空間

8月25日 火曜 自治

2015年08月25日 | Weblog
家人が近所の人との会話で、歳を取ってきたので自治会の役員が回ってきたら自治会をやめるなんて話を聞いてきた。
どうしたもんだねぇというので、自治会なんかいったん解散してしまえばいいんだと答えた。
例に漏れず、我が家の近所も老齢化の波でサーフィンし、ただでさえ自分の体さえも満足に動かない状況で、自分たちの”班”とその”上”の組織と、さらに”上”の組織の事を”役員”として担っていかなければならないというのは実際つらい。
”自治”などと言っているが、やっている事は上意下達の”自治体”の下請けで、自治会費だって一部上納されている。
そういう形の中に「自主的」に参加している事になっている。
だったら自分の体もつらいし、みんなに迷惑もかけるしと、自治会をやめる”選択肢”を選ぶ人が増えるのは時代の流れというものだ。
自治会をやめづらいのは、単にごみ捨て場の問題と、近所のてまえだけのことだ。
それでも自治会を抜けたいと思う人の気持ちを考えれば、そもそも論で”自治”ってなんなのさってことを考えるしかあるまいし、そういう時代になったということだ。
そういう考えがあるから、いったん解散してみたら?というのだ。
それで自分たちだけで自治会を作り、自治をしていけばいいのだ。
基本的にすることはごみ捨て場の掃除だけだろ。
”上”の組織に組み込まれる必要もないし、寄付金集めに走る必要もないし、”連合”として合同で何かをする必要もないし、回覧板を回す必要もない。
もちろん飽食の時代だから「配給」のお知らせを回す必要もない。
ただ自分たちだけで自分たちの地域を住みやすいようにしていけばいいのだから楽だろう。
それでなんの問題があるのか?
”役員”を勤められないから脱退するという本末転倒の話より、ずっと正当な話だ。
自治をするのに何かの組織の下部に組み込まれる必要はないし、もちろん”自治体”に許可をもらう必要もない。
自治は勝手にみんなでやっていいのだから。
それを何か勘違いをして、加入しなければならない団体みたいに振舞うから、そこからはみ出したり、落ちこぼれたりした人を切り捨て、存続すること自体に価値をおく変な組織になってしまうのだ。
これからの時代は、ごみ捨て場の掃除当番だけする自治会の時代なのだ。




西前銀座商店街
神奈川県横浜市西区中央2丁目
撮影 2014年12月30日 火曜日 15時05分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする