闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

タガの外れた社会

2008年03月29日 10時52分48秒 | Weblog
まぁ最近に限った事ではありませんが、特に21世紀になってから
日本のいたるところで、タガの外れ方が異常な気がします。

今週も異常なニュースを目にしました。
「刑務所に入りたかったから」と無差別殺人を実行する若者、
「誰かを殺してみたかった」と駅のホームから他人を突き落とす若者

いつの時代でも猟奇的な犯罪はあったでしょうけど、
情報が大量に行き交う現代では、それらの情報も簡単に流れるようになったから
多発するようになったと思えるのか、本当に件数が多くなったのか・・・

附属池田小事件の犯人宅間などは、自殺願望があって子供を殺しているのだから
もはや死刑という刑罰が抑止力になっていないケースでしょう。
今週起こった無差別殺人犯も、刑務所に入りたいという願望からやっているので
いくら厳罰化しても、避けられなかったかもしれません。

まぁ犯罪に走るところに至らずとも、大人の身勝手な振る舞いや往生際の悪さ
などを見るにつけ、子供へのまともな教育が行えるととも思えません。
戦後の教育のありかたが間違っていたとか、モラルの欠如とか
評論家の皆さんは様々な事を仰るが、いずれも当ってもいないし外れてもいない
というところではないでしょうか。

私の持論では、戦争や戦後の貧しかった時代を通りぬけた人が
自由や民主主義という意味も十分理解していない間に
いきなり外からやってきた「自由」や「民主主義」を手にしてしまった結果に
あると思っています。
日本の民主主義は、国民が闘って手にしたものではありませんし自由とて然り。

戦後、いきなり様々なタガが外れた上に、本当の自由や民主主義を理解しないまま
義務やモラルを差し置いて「好き勝手にやってもいい」という風潮の蔓延や
「自分たちが戦争で苦しんだ経験を子供には同じ思いをさせたくないから」と
いう思いから、子供達に与えすぎ、また与えなさ過ぎたのだと思います。

その結果、一人一人の心の抑止力を失ってしまいました。
しかし、まだ地域のコミュニケーションがあった時代は
それがある程度抑止力になったいたと思います。

他人との関係が希薄な今、その地域の抑止力もなくなってきたから
個というものがむき出しとなり、単に他人との利害関係がかろうじて
抑止力となっている、大変危うい状況にあると思いますね。

そして困った事に、他人との利害関係すら考えられない人間が出現してきました。
その人間には、他人との利害関係の抑止力が外れていますから、
他を傷つけると自分の傷つくかもしれない事を知っている野獣以下です。

私たちの日常生活は、アフリカの猛獣がいる草原より
ある意味では、危険な環境の中に置かれている事を認識する必要があるでしょう。


今朝目に付いた記事:
 ・岩手県沖でM4・8の地震、盛岡市などで震度3
  少し地震報道が少ないのが逆に不安ですね・・・エネルギーがたまっている!
  それとも国会の震度が大きすぎて、他が目立たないのかもね

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