3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

父の思い出 もうすぐ命日だ

2016-10-10 15:10:39 | 日記
引き出しの奥から、ずっと前に父からもらったテレフォンカードが出てきた。
まだ、使っていないもの。

父は定年退職後、再就職をしたが、その職場のカードだ。
第二の職場も長く勤め、そこも80歳になって退職した。
満開の桜のそのカード、かつての持ち主はもうとっくにこの世から去って久しい。桜の美しさが、かえって悲しい気持ちにさせる。

父が亡くなって早6年、もうすぐ命日だ。

祖父母の死は遠いものだった。
しかし、父の死は衝撃だった。

父の専制君主ぶりに常に反発してきた。
子どものころは父を論破するために多くのエネルギーを費やした。

それでも、晩年、弱くなって、寝ている時間が長くなり、難聴になってコミュニケーションがとりにくくなって、少しかわいそうに思えてきた。
11月の暗い朝に亡くなったが、その知らせを兄から、実家に向かう駅で聞いた時は、震えた。

兄に比べ、私のほうをずいぶんかわいがってくれたなあ、などと思い出していたら、涙が出てきた。

頑固な父だったが、家族を見捨てることもなく、父親としての責任を果たしてくれたことを思うと感謝の気持ちがいまさらながら湧いてくる。
世の中には家族を捨てていなくなってしまう父親がいるというが、そういうこともなく、二人の子どもも高い学歴をつけてくれたし、結婚後もいろいろと援助をしてくれた。

亡くなる前の年に一緒にお墓参りをして、いつものソバ屋で鍋焼きうどんを食べた。
孫にとクリスマスケーキを買ってくれた。
もうずいぶん弱くなっていて、タクシーで駅まで送ったなあ。

最後は入院が必要だったのだが、入院することもなく、わがままを言って母をこまらせてはいたが、最後まで自分の生き方を貫いた。
一切の医療を拒否し、自宅で夜明けに亡くなった。

大正生まれの父らしい最後だった。
仲間はみな学徒動員で20歳前に戦死した。理系だった父は徴兵を免れたために長らえた。
20歳からの人生はお釣りの人生といっていた。
若くして亡くなった仲間たちを思うと、無駄な延命治療などいらないと思っていたのだろう。


私は、父の後、母を送り、夫の父、母と送り、四者四様の最後を見た。
人生というものがわかりかけてきたように思う。人生の輪郭。
いくつもの別れを経験しながら、人は自らの死に向かって歩み続けるのだろう。

もうすぐ父の命日
父の思い出に
Handel: Concerto grosso in B minor, Op.6, No.12 - 3. Larghetto,
をささげたい。







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