新潟カウンセリング研修センター

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真のいじめ予防→聞こえてくるか、その人のことば・自分のことば

2013-12-11 10:58:30 | 私の声
 「いじめ」についての調査結果に基づいて、前年度の2.8倍になったと新聞・テレビで報じられている。過去最悪としながらも、隠蔽したがる面からは、まず認められるようになったとしている。統計上のことを論じて分析し、どう説明をしようとも、現に目の前にした生身のその人間(ひと)に、どう向き合わせていただける自分になっているかが、問われ続けられていることがおろそかになったままでは、始まらないのである。しっかり向かい合う心構えがないように感じられているならば、取り組んでいるかのように自身をごまかし続けている姿勢に、光をあてるしか先は開かれていかないのである。調査・法の以前に、現に起こっているその人間と人間の関係(ことばの相)が、聞こえて観えているか、それこそが、究極のいじめ予防対策に他ならないのだが。精神の感性は一朝一夕では磨かれるはずもなく、倦まず弛まずだ。精神の「飢餓」に、学ばずにおれなくさせていただけるであろう。教師だ・親だ、の看板を外し、まずクライエントになれればいい。

自他は認識できているか

2013-12-10 08:34:47 | 私の声
 自分以外の他者と生活しているのには、一人一人に深い深い訳が課せられていたと思えている。自他の区別をつけさせていただける人間(ひと)になるんだよと。自他の区別を自覚できるように育み合うためには、どうしても他者が必要だから。自他の区別がつけられてこそ、独りが鮮やかに輝かせていただける。同時にもう一人の独りの人間(ひと)のかけがえのなさが、実感になってくるのである。実際の生活は殺し合っているように見えている。自覚のないままに。精神の飢餓に鈍感ゆえに、自覚にならせていただける学びへの道を、歩もうとする行動になっていかないのであろう。
 生きているこの世で学ばずに、いつ救われようというのだ。

○○さんは××だ

2013-12-09 09:37:52 | 私の声
 「Aさんは、△△はやいんだよね」は、Bさんのことばだ。「そうなの?」「そうだよ!」と、Cさん、Dさんが言う。日常よく聞く会話だ。「Aさんは、△△はやいんだよね」は、言っているBさんにきたことばである。ところが、そのことになかなか気付きにくい。したがって、相変わらず「Aさんは」になったまま、「Aさん」に向けられていく。場所を変え、相手が変わっても。そのようなAさんは、どこにもいないのである。言っているBさんそのものである。固定された実体は、どこにも存在しないのだと。固定的な見えよう・囚われようを、「関係」と言わせていただける。人間関係とは、自身の視点こそが、究極の課題だとはっきりにならせていただけている。ことばは、常に言っているその人間(ひと)に、問われ続けられている、が知らしめられるのである。自身に問われてこそ、自身のために生(な)りうるのだと。  そこ(自身に問えてこそ)から「おもいやり」に展開されていける・・・・・・・

身体のうえ(飢餓)には成れるが

2013-12-08 09:25:17 | 私の声
 寝たり食べたりトイレに行ったり服を着たり等々、の行動に日常どなたもどなたもなっている。ごく当たり前のようにして。眠くなった、お腹がすいた、寒い暑いというような飢餓を感じられるからだ。ところが、精神の飢餓にはなかなか気付きにくいようだ。精神の飢餓は、どなたにもどなたにも、すでに生まれながらにして具えられているのであるが。精神の飢餓がどなたにもどなたにも、等しく具えられていたんだなあと、気付かせていただけたのは、カウンセリングに値遇(であ)わせていただき、学べてこそであった。疑問・つまずき・スッキリしない等など、精神の飢餓を気づきにくいがゆえに、学びへの行動になりにくい・行動になっていない。おかしい・まあいいや・困ったなあと思っているだけ、言っているだけ、忙しい等などのことばでごまかして、通りすぎて行ってしまえている。いのちは成長に願われているのである。飢餓に敏感になれる人間(ひと)は、学ばずにおれない人間だといえる。

「カウンセリング」のお知らせ

2013-12-05 07:17:29 | 私の声
 生活に支障を感じられている方、どうしていいかと思い悩んでいる方、子どもについつい怒鳴ったり、手や足が出てしまい自分を変えたいがどうにもならず、危機感を抱いたままの方等など、来談をお勧めします。日時:12/8(日) 9:00 ~12:00または13:00~16:00  会場:新潟カウンセリング研修センター℡・フアックス 025-230-5320へ 事前に連絡が必要:氏名と電話番号を留守電かフアックスで。小針6丁目バス停より徒歩にて2~3分