音として、ことばは言いっぱなしになっていること、思ってみたい。言っているだけのなんと虚しいことかを。もう一人の人と言い合っているだけ。聞いてもらった感じもなし、伝わった感じもないことに、頓着しない・感じられない責任はどこへいっているのか。そのままで死ねますか。苦しみ・行き詰り・いてもたってもいられなくなれたら、動き出せる。ことばは、声になったその人間(ひと)に還(か)えるようになっているのだ。ことばに値遇(であ)わせていただけるように、すでに使命を宿しているのだから。一人で考えてもその体験はならない。むしろ底なし沼に墜ちていくだろう。健康的な人生・豊かな自在な世界に生かされゆくには、もう一人の独りの人間が必要。吾の声にして、聞かせていただき合い、無限の広い世界・奥深い世界へいける道がすでに用意されているのだから・・・
昨日は市民プラザで語らいの場を設けた。生身と生身が用心要らずに語らえることを、生身は必要としている。なんでも言っていいのだ。それが自然なんだから。自然が欠けて、欠けていることすら分からなくなって、精神が病むのだ。精神が酸素を欲しがっている。「この日を待っていた」と言う。ある方は「自分のところにことばが戻ってきてくれたことに最近気付けて、嬉しい。幸せだ。」と。「その人と私とが分けられて、職場で少し楽に話せるようになってきた。」と、もう独りの方に聞かせていただいた。ことばとことばが往来し、ともどもに生かされ合える再びのときを約束して別れた。語らいはいいねぇ。優しい空気に満たされていた。
カウンセリングと名付けられている学びの場で、たびたび師に聞かせていただいたことばに、「ことばを空気に触れさせて!」だった。耳にとどいてはきても、なかなか声になりにくかった私だった。ことばを空気に触れさせることの意義・ことばを声にしにくさは、これまでのあゆみを経て、今にしてうなずけるのである。声にならないことばは、闇に葬られ値遇(であ)えない。闇に葬られたことばは、この身を不安定にさせる。自覚できるかどうかだが・・・。訳が分からないから、止めてしまおうとならずに、ここまであゆませていただいてきた。測り知れない愛に抱かれて・・・。声になったことばに、より深く広い世界に迎えられてきたし、ゆける確信である。もう一人の独りの人間(ひと)がいてくださっての、育まれ合いにまさる慶びはない。
あぁ 言えた! 「しんどい」ってねぇ」。 その人と関わっていたまさにそのとき、言えていれば・・・はあるけれども、今言えて・・・。胸中に言えなさを感じていたんだ。今、私にことばになってとどけられ、誕生してきてくれたのだ。ホッとならせていただけている。飛躍しているように聞こえるかも知れないが、人生させていただいているなぁ。人生のプロセスをことばであゆませていただいているんだなぁ。ことばは私を見捨てない・私はことばに見捨てられない。ますます・いよいよ信じられる。ことばに包まれている私なんだって。ことばにして、ことばに値遇(であ)わせていただけてゆける・・・まさにそのときに、となっている体験は、関わりの助けになっていくことであろう。
今になっては遅いんだが、どうにもしょうがない・しようがなかったんだから。と言うのは、ある人との関わりで、攻撃的なことばと口調でことばがどんどん発声されていた場面だった。どんな口調であっても、どんなことばであろうとも、聞かせていただこうの姿勢ははっきりしていた。ところが、なんだかこの身に重さが感じられていた。私の声になりづらくなっていた。カウンセリングに学んでいなかった頃の以前の私ならば、すっかり巻き添えをくって、傷ついて落ち込んだり攻撃したり言い訳したりになっていたことだろう。今は相手のことばに振り回されたりはせずにすめるから、私でなくなることはない。有難い!ひとつ、今そのとき「しんどいなあ」を言えていたらと、悔やまれている。言ってみてどうなっていたかは知れないが、少なくとも、この心身はしんどいに値遇(であ)えていたことだろう。この身が教えてくれていたんだねぇ。値遇いたがっていたんだよ。しんどいにね。