新潟カウンセリング研修センター

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どこまでも学び続けている人間(ひと)を、カウンセラーと名付けられる

2019-02-23 12:52:07 | 私の声
 ご縁を得て人間(ひと)に関わらせていただいている。人間の変化・成長に関心があって学びが始まり、現在に至っている。よく学びが今日まで続いたものだと思う。それは、ひとえに師との出会いにあった。学びにつれて、もう分かった!分からない!でもなく、“分からなさ”に値遇(であ)わせていただいたお陰だ。分からなさは、学ぶ程にますますはっきりと、この身にいただけてきた。学んでいないときには、学びの必要が分からなかった。多くの人々がカウンセリングに学ぶことにならないのも、うなずける。
 ところで、「どこまでも学び続けられている人間を、カウンセラーと名付けられる」ところは、二度と同じ場面がない・同じ人間はいないゆえに。従って言うまでもなく、おのずと学び続ける必要が生じている。巷ではマニュアルを身に着けてカウンセラーと言っているが、全くふさわしくない。かけがえのない生身のその人間に、関わらせていただき寄り添わせていただくとき、失礼千万だ。マニュアルに頼っている人には、目の前のその人に「かけがえのない独り」が感じられていない証である。マニュアルには、血液も尊厳もない。
カウンセリングと言う言葉は同じが、奥行きと広さは異なる。一般の人には、選びようがないところですね。

人間(ひと)は、言葉で歩めるようになっているのだが

2019-02-14 08:27:24 | 私の声
 辛い・苦しい・悲しいときがある。そんなとき、ひとは黙り込み我慢するか、時間が経てば忘れられると思い、じっとしている。話しやすい仲間に話してみても、らちが明かない。次第に積もり積もって憂鬱になり、身体に症状が現れてくる。そして、内服薬に頼るようになっていく。
一人で考えても、努めてみても泥沼に沈んでゆくばかりだ。そのようなとき、いつでも手を差し伸べさせていただきたい。思い切って電話してみてほしい。虐待・いじめ・イライラ・憂鬱・引きこもり・不登校・元気が出ない等など、自分に感じたら一人で抱え込まない。カウンセリングの必要なときだ。超えられないものはない。あなたが動き出すのだ。言葉に精神が育まれる合えるカウンセラーが、どうしても必要である。