新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

学習と勉強

2021-05-31 08:52:21 | 私の声
 多くの方々は、上記の両者の区別がついていないと、私は察している。
と言うのは、学習の機会に恵まれた人にこそ、その違いが自身に明確になるものだからである。
 ことばが言えるようになって以来、「知る」に価値を置かされ他人から評価され続けられ、「知る」世界しか生きてきていない者には、疑う余地がないのは当然。
 不幸のなかにいては、不幸が分からない。かつての私はそうであった。いわゆる不登校の生徒に関わらせていただき幸いにして、「知っている・知識・観念・解釈・理屈」に疑問を抱き、カウンセリング研修会に臨み、学べる関係に出会えた。以来、学びなき人生は、私にはない。毎日が、今このときこのときが新鮮に過ごせるようになって、有り難い。
 
 学びとは、体験(吾を声にする)のあとに、やってくることばである。
勉強は、強いて強いられて、勉め、答えは先に決まっている。
血液の通っていない答えを、頭に詰め込む。
学びでは、自分のただ声にするだけ。おのずと学びが誕生する。身が納得(実力)になる。ダイナミックな展開に感動し、ものの見えよう・聞こえようが変化(へんげ)し、ますます学びへの意欲が駆り立てられて往く。
一人で本を読んで、役に立つのでは無いかと思う人のなんと多いことか。
そして、役に立ったと錯覚に陥っていることにも、気づきにくいようだ。一人では叶いません。
 
 自分を変えたい、誰とも楽に応じて往ける自分になりたい、個人的にも満たされ、社会的にも健全な人になりたいと思う方のために、新潟カウンセリング研修センターはあるのです。
育まれ合いの場として、歓迎します。あなたにすでに具えられている資質が、生かされ合える場です。
まず、始めよう!


心の闇

2021-05-25 13:48:08 | 私の声
社会的に反する行動や他者から見て順応していないような相手を指して、「心の闇が深い」などと言っているのを聞く。
また、「あの子はどうして、あのようになったのか」とか「こんなはずじゃ無かった」とか言っているのを、よく聞く。
私をはじめ人間は、私達は無意識に支配されているのだ、と今にして私は言わせていただける。
カウンセリングに出合っていなかった、そのはじめには、言えなかったことばだ。
無意識の真っ最中のなかに、生きていたときには、無意識に支配されているとは。
カウンセリングに出合い、ただひたすら学び続けてきたお陰で、ことばに顯かにならせていただいてきた。
今ここが、次第次第にことばに顯かになり、大安心に迎えられてきた。
一人で考えていたのでは、こうはならないこともはっきりしている。
カウンセリングという、特別の援助関係に身をおき、分からなさにお任せさせていただいてきた。
答えを急ぐ人が多い。目先の用が済めば終わり、勝手に分かってしまう。人ごとだが残念に思う。
よりよく、生きていこうとせずにいるのが、不思議だ。
人間にならせていただく学びゆえ、最後の呼吸まで必要なのだが。

ただ 声にする だけ

2021-05-14 12:35:46 | 私の声
ただ、自分の声にする だけ
「私は今、こうなっています」と。
こここそ、主体性・社会性が育まれて往ける手がかりになるのです。
最も易しいのです。
ただし、日常の関わり合いでは、育まれ合いは起こらない。
特別な援助関係(カウンセリング)において、起こる。
ことばに、見えよう・聞こえようを、変わらせていただける。
声にして学びになる。
体験学習を重ねよう!
人間にならせていただく学び合いをしよう

お知らせ「歎異抄に学ぶ」

2021-05-09 09:25:55 | 私の声
「歎異抄」は、ご存じですか。
目にしたり、聞いたりしていたが、という方に会ってきた。
購入したけれど、しまい込んでいたと聞かせ手くださった方がいた。

一人で文字を追っていては、難解であろう。
馴染みのない文字の相(すがた)や文脈で表されている。
集って、声にして読み、聞いた自分が言える関わりが必要。

どのページをめくっても、お一人おひとりの生身を話さない。
いつ読んでも、どなたも味わえて、新鮮に響く。

その昔、初めて「歎異抄」に触れたとき、まるで異国のことばのように読めなかった私だった。
今では、常に私のなかに在る。
分からないまんま、学びの場にこの身を置いていられたこそ、今が在る。
5/23(日)13:00~「歎異抄に学ぶ} 参会費2,000円  新潟カウンセリング研修センターで。
より豊かに、より機能する人間なるために、と思い立ったあなた!☎025-230-5320へ、予約が必要