新潟カウンセリング研修センター

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ある行司の引退会見に聞く

2013-12-23 07:35:49 | 私の声
 念のため、ある辞書を開くと、行司とは「相撲で力士を立ち会わせ、勝負の進行・判定を司る役。また、その人」と。結びの一番だけを任されてきて、そして引退を迎えたその行司の方のことばが、私に遺った・遺らせてもらえた。「足のつま先だけを見ている。お客さんのように勝ちを見ていたら、判定を誤ってしまうだろう。過ちは許されない。横綱は神様ですから。横綱を見ていない。横綱は強い者と思ってしまっているから。行司にはなりたくなかったが、父親の勧めに逆らえずイヤイヤなったけれど、次第に好きになってきて、今は天職だったと思っている。」と。
 聞き違いに満ち満ちている日常会話の正体を、聞かせていただいたように思えた。そして、聞き違いに鈍感になっている有り様は「足元が・今ここが」見えないまんまが、置き去りになっているのだ。自ずから聞き違いになるようになっているのだ。「勝負を・話を・あの人を」を見たり聞いたりになっているではないか、と。聞き違い合いに、違和感が自身に感じられるかどうかに、ひとえにかけられているのだ。感じられて、学びという行動に遷せるかどうかなのだと。兎にも角にも、まず学びに入ることだ。なぜならば、学べてこそ「天職・好きに」ならせていただいているのだから。学びの場は、いつだって開かれているのだ。