新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

輝きたがっている・・・

2017-06-30 07:21:52 | 私の声
 充実したい・私の道を歩みたい、と想わない人はいないであろう。想うだけでいたずらに時を過ごしているのでは、と推測している。いろいろやってみても、一時的には満足はできるでしょうが・・・心身は真の慶びを知っている。全身の細胞が実感できたとき、無上の慶びに心はならせていただけるときだ。悲しみが悲しみとして・苦しみが苦しみとして。楽しいだけを求めている人には、真の楽しいには値遇(であ)えない。自分の声になって、聞いていただけたとき、眼前が瞬時に開かれる不可思議。カウンセリングに託されているところと言える。日常の関係では、決して体験できない。新しい私の誕生に優る慶びはない。もう一人の独りの人との分かち合いは、このいのちの限り願われている願いである。

いじめに悩んでいる あなたへ

2017-06-27 09:02:46 | 私の声
 学校で職場で苦しい思いをしているあなたへ、一人で抱え込んでいませんか。一人で考えては光が見えてきません。今朝も新聞の紙面で、みずから命を絶ったと。生きていく気力がない、学校や職場へ行くのがつらい、朝起きられない等、どんな状態のいつでもどなたにも、心の手をさしのべさせていただきます。死に急がないで、あきらめないで、まず電話の受話器を持とう。☎025-230-5320 新潟カウンセリング研修センターへ

その人の身になる って?

2017-06-26 06:57:22 | 私の声
 「その人の身になる」 と言うことばを、どなたもこれまでに言ったり聞いたりしているであろう。ところが音として言っているレベルで、実感として響いてきていないのだ。実感になっていないと言うことばが、その人に訪れていないと言える。その人 と言うと、ややもすると、相手の・あるいは自分以外の一般のと聞いてしまいがち。「自分自身に」がすっぽり抜け落ちていることに気付けないまま言っているのだから、空言に他ならない。身になる とは、先ずは自分自身に実感としていただけるところを言っていることば。実感したい・実感になるために とどうしたらなることができるかと考えたり、ならなければと力んだり、なりたいと努めてもなれないようになっている。「自分に実感がない・なかった私」 が鮮やかになれる関係・育みあいになれる場がここに用意されています。

不安定(落ち着けない・このままではいられない)が自身に感得されてくるかどうかだ

2017-06-24 06:40:11 | 私の声
 ❝学ばなくてはいけない と思っている”のことばの相(すがた)ところでは、行動にはなっていかないようになっている。不安定が自身に感じられるかどうかに、ひとえにかけられていると言えよう。おのずから学ばないではいられないように、なっている。心身に不安に感じさせていただけたら、歩みが変わってゆける。しかし、身が叫んでいても、心がそのできごとを打ち消そうとする。「考える」と言うできごとにである。考える世界しか見てきていない・考えることは良しと教えられてきたゆえに、無意識的に考えるのである。その考えている自分に気付かせていただけたのは、カウンセリングに出会い自分の声にして聞いていただけたからこそである。測り知れない無限の世界・底知れない奥深さへの歩みは、私には予期せぬできごと。❝私が考える世界”に、不安定にならせていただけた。どの人にも、自在への道が用意されているのだが、私が考える世界には見えない世界である。変容(成長)への資質が具えられているのだが・・・。研修会があるんですよ、とお知らせすると、どんなことをするんですか、と考える。参加にはなれないようになっていく。考えて判断することのなんと当てにならないことかと。まず動いて考えさせていただくんですよ。まず足を運ぶんです。分からなさにお任せさせていただけて、楽であり自在になれ健康的な生活が開かれてゆけるが実感できている。

ことばと私

2017-06-22 07:08:55 | 私の声
 ことばと言うものの存在を知ったのは、学校に勤務してしばらくしてからだった。ことばを言ってはいるが、ことばに値遇(であ)えていない・実感がなかった。ことばに関心は著しく薄かった。今にして言える。ことばに注視できる歩みを歩めたのは、中学校で学校の校門をくぐれない・教室に入れない生徒との関わりがきっかけになった。その生徒との出会いがあって、カウンセリングと出会い尊敬する師と出会えた。不登校として接していた私は、独りのその人(精神)に変わった。不登校と言う人はいなかった。観念で見ていた自分に気付かせていただき、救われていった。私のことばが変わり、自覚が変わり関わりが変わった、大きなできごとである。カウンセリングはどこで誰に学んでも同じと錯覚していた。はっきり言える。カウンセリングはその人(師・カウンセラー)であると。そのように変わったのも、ひとえにことばであった。ことばは四六時中私にやってくる。声にならないことばの、測り知れなさ。声にならない・声にしないことばに、呼吸させていただきたいから、「なんでも言っていい」と学びの場に集ってきた方々に伝えさせていただいている。細胞が窒息死しそうになって、悲鳴をあげている人々のなんと多いことか・・・。