新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

安全性の危険性

2013-09-30 10:01:56 | 私の声
 東日本大震災後の原発に関わる報道を見聞きするたびに、「安全性」ということばが頻繁に使われている。「安全性」と言ったときから「危険」が感じられるのだ。危険がはらんでいるのである。そうであるにもかかわらず、口々にすでに安全と思い込んでいるかのように、すらすらといってのけているのだから・・・・・・・。ここまで現実に出来事が証してくれている今、今さら「安全性を確認して」等などと。危険を思い知れない哀れさよ。確認できるとでも思っているのか。安全な原発があると思っている哀れさよ。「安全性」ということばの奴隷と化したか。目を覚ましなさいと事故に学べないのか。

実力・私

2013-09-29 09:00:30 | 私の声
 カウンセリングにであった当初、ある研修会の場で「行き詰まっている」と自分を語ったように遺っている。そのときだ。「実力」と聞かせていただけたことばが、鮮明にそして、私のエネルギーにならせてもらえているのだ。有ること難しである。以後長きに渡り、私を育んでくださってきた師のことばなのだ。言うまでもなく、このことばに私の心身は、呼応し変化(へんげ)して不自由が突破割れ、私の世界が変われた瞬間であった。思わせていただいている。ことばに、しっかり自分の色がつけられていたんだなあ、と。とらわれから離れさせていただけて、初めて観させていただけるのだなあと。それまでの私は、実力ということばは、目指すものとしてとらえていたようだ。「真に行き詰まらせていただけた」は、実力に他ならなかったのだから。現に自由自在の心身がその証しになっている。

お釈迦様を訪ねて

2013-09-28 07:39:28 | 私の声
 帰国したら東京が桜の満開の季節になっていた頃に、ネパール・インドにお釈迦様を訪ねてきた。何よりもまず、驚いたことに地面に広がっていたゴミと、物乞いをする人たちの多さ、悪路の激しさ等などであった。都度都度とまどったことは、トイレだった。それらを含めて、意義ある旅になった。今後のインドの政治に関心が持てたのは確かだ。インドで買い求めたものは、お釈迦様がその木の下で、悟りを開いたとされている、菩提樹の実で造ったブレスレットであった。念願のそれを手に入れるために、確かなお店にと添乗員さんに依頼したところ、なんと私と同じ名前が付けられていた。お陰で随分おまけしてもらえた。思いがけないことだった。パートナーとの対である。「天上天下唯我独尊のあなたと、天上天下唯我独尊の私の絆の証しとして死んだ後も腕にね」と、ことばを添えて渡した。この菩提樹のブレスレットは、「かけがえのなさともどもに歩ませていただけよ」と語りかけてきてくれている。

悉有仏性(しつうぶつしょう)

2013-09-27 09:46:45 | 私の声
 以前は、聞き慣れなかったこのことば、今ではすっかり私のことばになっている。仏性は悉くに有りと読めている。このことばに値遇(であ)わせていただけたお陰で、24時間365日退屈になれずにすんでいる。この目に見えるもの、見えないもの、聞こえるもの、聞こえないもの、ありとあらゆるものとの、関わりに私としての意義を思わせてもらえるのだから。実感としていただけているとともに、期待も抱けている。邪魔なもの、不都合なものはなくなった。嫌いな人・いやな人はいない。動植物にもいえる。一切は大事になり、私のためにあったのだ、用意されていたのだと。

救われてきた・いる・いけることば

2013-09-26 09:03:44 | 私の声
 これまで、現に今、そしてこれからも、救われていけるに違いないと、私に確信されていることばは、「太初(はじめ)にことばあり」である。このことばが私の全身の細胞の隅々にまで行き渡り、納得できているお陰である。考えてからことばにするもんだと、思い込んでいたときには、おのずと閉ざされざるを得なくなっていた。ところが、先人が遺してくれたこのことばに値遇(であ)わせていただき、現に今も救われている事実。ことばにして、考えさせていただけていけるという実感。私が言葉を支配するのではないのだ。ことばにお任せである。ことばが語り、ことばに歩ませていただけるいのち。お陰で、ことばに締め出されずに居れる。