私はこれまでも自分自身が救われてきた道を、ひたすらあゆんできたが、ますます救われるできごとを目指していることがはっきりしてきている。その手立てとして、自分の声にする他はないということだ。一人で声にせずに頭の中で考えては、らちが明かない。前に開かれていかないばかりか、暗闇が深くなっていくばかりなのだから。周りに人がいないわけではないが、丁寧に語り・聞かせていただき合う関わりは成り立ちにくい。幸い定期的に場を設けて足を運び育みあおうとする方々がいてくださり、在り難い。「一念というは、これ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時剋(じこく)の極促(ごくそく)を顕し、広大難思の慶信(きょうしん)を彰わす」と、金子大栄著・歎異抄のことばが私の目にとまり、ここに関心が注がれている。悲しさが転じて慶びに値遇えることを知らせてくれていることばだ。生まれたてのことばに、救われたがっている。ことばは時を経ると加工品に変わって、分けが分からなくなり迷子なり、ことばのふるさとに還られないまま葬られていく。宝の持ち腐れにはしたくない。ことばの鮮度が肝心・・・。
語り聞かせていただき・救われ合える会 → 2/20(土)詳細の問い合わせ先 ☎025-230-5320 新潟カウンセリング研修センターへ 年齢・性別・職業・動機等など 一切問われません。まず足を運ぶところから始めましょう。
語り聞かせていただき・救われ合える会 → 2/20(土)詳細の問い合わせ先 ☎025-230-5320 新潟カウンセリング研修センターへ 年齢・性別・職業・動機等など 一切問われません。まず足を運ぶところから始めましょう。