新潟カウンセリング研修センター

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今 ここに関心あり

2016-01-21 09:22:22 | 私の声
 私はこれまでも自分自身が救われてきた道を、ひたすらあゆんできたが、ますます救われるできごとを目指していることがはっきりしてきている。その手立てとして、自分の声にする他はないということだ。一人で声にせずに頭の中で考えては、らちが明かない。前に開かれていかないばかりか、暗闇が深くなっていくばかりなのだから。周りに人がいないわけではないが、丁寧に語り・聞かせていただき合う関わりは成り立ちにくい。幸い定期的に場を設けて足を運び育みあおうとする方々がいてくださり、在り難い。「一念というは、これ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時剋(じこく)の極促(ごくそく)を顕し、広大難思の慶信(きょうしん)を彰わす」と、金子大栄著・歎異抄のことばが私の目にとまり、ここに関心が注がれている。悲しさが転じて慶びに値遇えることを知らせてくれていることばだ。生まれたてのことばに、救われたがっている。ことばは時を経ると加工品に変わって、分けが分からなくなり迷子なり、ことばのふるさとに還られないまま葬られていく。宝の持ち腐れにはしたくない。ことばの鮮度が肝心・・・。
語り聞かせていただき・救われ合える会 → 2/20(土)詳細の問い合わせ先 ☎025-230-5320 新潟カウンセリング研修センターへ  年齢・性別・職業・動機等など 一切問われません。まず足を運ぶところから始めましょう。

私の歩みたがっている道

2016-01-01 09:33:44 | 私の声
 新年を迎えた今朝、陽の光に注がれながら、私の今をことばにしておきたい。これまでを振り返ってみると、約40年ほど前「カウンセリング」に出会い、なにがなんだか分からないまま、その場に身を置き、次第次第にその奥深さ・分からなさに値遇わせていただけた、二人の「師」に恵まれて今の私がここにいる。よちよち歩きの私に優しく即してくださり、手だてが見えなくなっている私になっているように聞えたときは、道しるべになることばをいただきつつ、ここまで育まれてきた。「ある学者の説によると、人間には二度生まれるということがあるという。お母さんの胎内から生まれるのが第一回、二回目は自分で苦しまなければならない。二度生まれるときは、本当に人間としての自分が生まれるのであると・・・」と、ある書物で目に止まったことばである。まさしく私はその場その場で声にして、二人の師のことばに聞かせていただきながら、人間に誕生させていただき続けさせていただいてきている、といえる。人間として誕生させていただけるに優る慶びなし、である。そして、この慶びが一人でも多くの人と分かち合いたいと、全国各地に足を運び、語り合い・聞かせていただき合ってこの身にならせていただいてきた。武器の要らない世界中の平和に間違いなく通じている道だから。今年の年賀状には「信順を因とし、疑謗を縁として」私が救われて往く道を探し続けて往きたい・・・と記した。私だけが救われるという事実はあり得ない。真に私が救われるところ・ともどもに、になるところだ。積極的平和と言えるところであろう。
 人間として誕生し合える場のお知らせ→1月16日(土)詳細の問い合わせ先 ☎025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)へ  年齢・性別・職業・目的等など一切問いません。どなたでも気楽にどうぞ。お待ちしています。