新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

「怖い」を言えた、その人間(ひと)

2017-11-26 07:16:08 | 私の声
 これまで幾度となく研修会の場でご一緒させていただいてきたそのかたの動きが変わった。もう一人の人と能動的に関わっていくのだった。びっくりすると同時に、関心が起きた。その場の方々のお手伝いを得ながら、ご自分の想いを言葉にしてたどれてゆけていた。私の関心を、その方が証してくださった。私にとって、有難かった。研修会が始まる朝、「朝食時に『先生が怖いんです』と言ったら、『僕もあなたが怖いんです』と言われた」と、聞かせていただき、さらに、「何十年も先生が怖くてものを言えなかった。怖いと言ったら、怖いがスーツと離れ、先生を気にしないで話すことができた」と。深く納得させていただけていた私。声にする・聞いていただく意味・言葉は用(はたら)き・・・どの人にも等しく与えられている声だ・宿されている言葉だ。自在にならせていただけるようにね。

カウンセラーはアーティスト

2017-11-21 08:38:02 | 私の声
 カウンセリングの学びは、アーティストにならせていただく学びなんだ、と言える。そのアーティストにならせていただくためには、もう一人の独りの人間(ひと)が絶対に必要。私一人ではアーティストには、なれない。カウンセラーつまりアーティストは、自在。もう一人の人に吾を聞かせていただき、その人のところに即せるか、だ。即せたとき、この身の我執が離れたとき。この身の我に執着していたら、不自由になる。不自由に感じられないで済んでいるのを、鈍感と言いたい。世の中にカウンセラーと呼ばれたり、カウンセラー養成を聞いたり見たりしているが、大いに疑わしい。私には、とてもカウンセラーとは呼べない。と言うのは、まるで方法に陥っていて、方法になっていることに、疑問がもてない・疑問にならないでいる在りようであるから。方法・手段でかけがえのない独りの人間のいのちに向かっている在りように、憂慮している。人間は、方法・手段で操作できると思い込んでいるカウンセラーのなんと多いことか。相手の方のためにならないばかりか、加害者になっているのだが。無意識で冒している罪深さよ。

現代人の不幸

2017-11-07 08:48:16 | 私の声
 現代人は自分の不幸に気が付いていない。気が付いていない、そのものに私は憂慮している。最近の報道を見たり聞いたりするにつけて、深刻に想う。残酷な事件が起こるたびに、よく聞く言葉に「大人しい人だった。優しい人だった。」と。まさに、音無しと言える。声にして言葉を言う、と言う意義を体得できないまま、いたずらに時を過ごしているようだ。カウンセリングに出会い学び続けてきているこの身ゆえ、言葉が声になる、そのものがどんなにか人が生きていくために必要であり、自然なことなのだと。現代は安心して言葉を声にしにくくなってきている。したがって、不自然で精神が病んでいる。程度の差こそあれ、病んでいる。自身で気が付くときには、大分言葉が闇深くなってきている証だ。言葉を声にしないと、おのずから不健康になっていくように、なっている。声にして言葉に歩ませていただこう。いのちが輝けてゆける道なのだと断言できる。聞いてくださったと自分に感じさせていただける人間(ひと)・カウンセラーが必要。大人しいはいい人と取り違えている人が多いようであるからして、声にしにくくさせ合っている。そして、優しいと言ったりもして。声を出しにくい、どうせ話しても聞いてもらえないと、決め込んでしまう人生はやめよう。もったいないじゃないか。さあ、今からカウンセリング始めよう。自分の声にして、成長させていただこう。成長への資質は、どなたも具えられて生まれてきているのだから。

ことばが声になると・・・

2017-11-03 08:40:56 | 私の声
 ことばを声にしませんか。しましょ。!聞いていただけると・聞かせていただけると、嬉しいし楽になれる。この体験ほど有難いものはない。私にとって。声にして楽になるには、安心して言える人・場が必要。カウンセリング研修センターは、その人たちのために用意させていただいているところ。いつでも、どなたにも、開かれている。苦しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、元気がでないとき、人に会いたくなくなっているとき、よりよくなっていけるチャンス。人は、一人では絶対に成長できない。一人で考えていては、ますます泥沼に墜ちていく方向に向かっていく。ともどもに育まれ合える関わりを、カウンセリングと言える。