寝たり食べたりトイレに行ったり服を着たり等々、の行動に日常どなたもどなたもなっている。ごく当たり前のようにして。眠くなった、お腹がすいた、寒い暑いというような飢餓を感じられるからだ。ところが、精神の飢餓にはなかなか気付きにくいようだ。精神の飢餓は、どなたにもどなたにも、すでに生まれながらにして具えられているのであるが。精神の飢餓がどなたにもどなたにも、等しく具えられていたんだなあと、気付かせていただけたのは、カウンセリングに値遇(であ)わせていただき、学べてこそであった。疑問・つまずき・スッキリしない等など、精神の飢餓を気づきにくいがゆえに、学びへの行動になりにくい・行動になっていない。おかしい・まあいいや・困ったなあと思っているだけ、言っているだけ、忙しい等などのことばでごまかして、通りすぎて行ってしまえている。いのちは成長に願われているのである。飢餓に敏感になれる人間(ひと)は、学ばずにおれない人間だといえる。
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