新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

今私の憂いているものは

2019-12-30 12:59:42 | 私の声
 当カウンセリング研修センターのカウンセリング入門コースに通い、学び始て間もない方に「カウンセリングって、これまでは『技術』『手法』だと思っていました」と、聞かせていただいた。自分自身の問いに真正面から取り組んでこそ、体得したことばだったのでしょう。
 世の中の大多数は、「技術」「手法」だと思い込んで、少しの疑問にもならずに生活していると言っていいであろう。疑問になるとは、自分自身の在り様に関心が向けられて起こるもの。日常は大方他者に向き、他者を気にして行動し、他者の責任にして不満三昧だ。カウンセリングに学べる人は、自分のせいとして落ち込むのでもなく、他者のせいにして排除するのでもなく、ともどもに育まれ合いの関係の手だてが顕かになるのである。それ故、学ぶにつれて、より柔軟(にゅうなん)になり自在になってゆく。
 ところが、同じ「カウンセリング」という名称のもと、方法・技術だと思い込み、他者に伝授している現状だ。この厳かな独りの人を私物化の如くに、操作できると思い込み疑わない人を、カウンセラーとは全く違うのである。しかし、必要に感じて求める人には区別がつかない。私はそうであった。幸い「真のカウンセリング」に出会えて、ご縁に感謝するばかりである。操作されてはたまらない、いや、人間は本来操作などでっきこないことに、今すぐ目覚めよ!現実を見よ! 救われた人は一人もいない。
方法や知識を身に付けた者に資格を与え、学校や職場などで採用され、操作主義に疑問ももたずやっていることに、非常に憂慮している。

一月前半の学習会のお知らせ→1/4(土)~5(日) 静岡県 、1/8(水)当研修センター  1/9(木)クロスパル新潟 1/12(日) 当研修センター 、1/15(水)当研修センターにて。詳細はお問い合わせを。

真の学問とは

2019-12-09 13:13:04 | 私の声
  真の学問とは、と問われれば私は、カウンセリング(自己とはなんぞや )となる。カウンセリングに出会い、分からないままにカウンセリング研修会の場に足を運び、師に出会い学び続けられて現在に至っている。40余年、続けられてきたプロセスに育まれさせていただいてきた。数えきれない方々との関わりをいただきつつの、育まれ合いだった。苦手と感じられた人との関わりにこそ、学びになった体験を重ね重ねてきた。人間は人間に育まれ合う、という事実が、吾心身に知らしめられた。決して一人では独りにならせていただけないのだと、この身に納得に。
 
「親しみあふも深い業縁に違ひない。されど憎しみあはねばならぬといふことは一層深き業縁である。歎異抄 金子大栄氏の言葉」と。
まさに、ここまでの体験そのものが、その言葉に表されている。
私にとって、人間関係で聞きにくい言葉にほど、私の世界を広げ、深めてきてくれたのだった。不登校生徒の「ため」にとして始まった学びは、いつしか「ため」にが吸収され、ただ「学びは生活」におのずから変化(へんげ)してきていた。学びは、本来慶びであり、楽しめるものであったのだ。

カウンセリングは、哲学であり教育であり科学であり・・・そして、「カウンセリングとは、より真なるものを求め求めて止まない過程の象徴でしょうか」は、日本に初めてカウンセリングを伝えたとされる、友田不二男氏の言葉だ。これで終わりはない。学ぶほどに、分からなさが私事になり、どこまでもどこまでも、学び続けられている人を、カウンセラーと呼ぶのだ。

カウンセリング楽習会「語らい」

2019-12-01 10:01:30 | 私の声
 市の教育委員会の生涯教育として、十月に発足した「カウンセリング楽習会『語らい』」は、毎月一回開催になった。「せっかく出会えたご縁です。参加して、ますます分からなくなり学びに魅力を感じ、末永く続けていきたい」と、声にして届けていただいた。「あぁ、分かった」と分かってしまったり、「分からない」と分かってしまうのを恐れ留意していただけに、ホッとさせていただけた。教職員の精神障害による休職者が増加している、子供たちの不登校やいじめ、保護者による虐待も、と言う新聞の記事を見るにつけ、居たたまらなくなったのが動機になっている。私の動ける間は、私のできるところをさせていただこうと、さらに機会・場の模索は続いている。これまで、40余年カウンセリングに学ばせていただいてきたこの身を、破壊の一途をたどっている人界に及ぼしていかずにはおれない。世に起こっている諸々の問題(国と国、親と子、夫と妻、教師と教師、教師と生徒、生徒と生徒、上司と職員、等)は、お一人お独りの学びにかけられているに他ならない。カウンセリングは生活そのもの。カウンセリングの学びの程度で行われている。カウンセリングに託されている智慧は、人間の計らいを超えている大いなる知恵である。とりわけ、人間の人格を育む責任を負っている学校の教師及び親には、学んでほしい。