新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

変わり続けられているのだが

2021-08-29 10:51:36 | 私の声
身は変わり続けられているのだが、心は滞りがち。
滞っているとも分からないまま、滞っている。
滞っていると、自覚になれれば手をうつのであろう。
カウンセリングと、思い立つ人は少ない。
困る、苦しい、迷い、眠られない、食欲がない、不安、人が怖い等などの形になって現れる。
ことばがやってこなくなり、声になっていないところに、起因しているとは思いが及ばないでいる。
当研修センターのカウンセリングでは、心身の健康的な方向に向かって歩めるよう援助させていただいている。
世間には、カウンセリングということばをよく見かけるが、質・レベルが全く異なっている。
ほとんどの方々には区別がつかない。
なぜならば、肉眼では見えないものだから。
肉眼で見えるところでのみ、生活がなされており、見えないものがあるとは思いもよらない。
見えないものが見えてくる学びが、カウンセリングだと今はいいたい。

人間になる学び

2021-08-20 07:17:28 | 私の声
人間になる学び、しませんか。
なるほど、肉眼に見える形は人間だ。
蛇でも無く、熊でも無く、蟻でも無い。
熊も蛇も日乗生活では目にすることはないが、蟻との関わりは絶えない。
蟻との関わりを密にしていて、他の動物にも共通している点を想う。
とにかく、蟻は甘さやミミズや昆虫の死骸に群がる傾向だ。地上の高い所の花やアブラムシの甘さに敏感。
その能力に驚くばかりだ。
蟻が嫌う殺虫剤を蒔いた瞬間は、瞬く間に姿を消すも、効力が薄れた頃に数が増して活動している。
全身は蟻になっている、考えてやっているレベルではなさそうだ。
動きがあるのみ。

人間は、どうなっているだろうか。
まず、考える。考えようとする前に、考えるようだから、大変なんだね。
迷うようになっている。
止めようとして止められるものもあるが、自力ではどうにもならないものが大事になれるかどうかだ、
ここに、人間になる学びが始められるのだが。
なにごとも無かったように振る舞ったり、みんなそうだと思い込んだり、我慢がたりないから等など、苦しみに鈍感になるように、自分で仕向ける。もう、無理は止めましょ!

苦しみに耐えられなくなった人は、いよいよ人間になる学び「カウンセリング」に出会える。
苦しみは、人間にならせていただくんだよ! というお知らせです。
限りなく広く、限りなく奥深い人間になる学び、しましょ!
限られている生の時間です。肉眼に見えない精神の育まれ合いは、いのちの要請のようです。
新潟カウンセリング研修センターでは、学びを望む方々に、年中無休でお応えしております。




「どうすれば、平和への歩みすすめられるのか」と

2021-08-08 11:54:54 | 私の声
8月6日は広島に、8月9日は長崎に、それぞれ原子爆弾投下され、毎年平和記念式典が開催されてきた。今年も先日式典の様子をテレビで報じられていた。菅総理の「読み飛ばし」が取り上げられていた点と、解説者の「どうすれば、平和への歩みがすすめられるのか」と言っていたことばであった。
平和への歩みが、すすめられないでいると、感じてのことばであろうか。

式典を通して、式典に直接に参会してやマスコミを介して視聴して、その人その人に意義はあるのでしょうが、どこか形式的になっていやしないか、と。
「読み飛ばし」もおこってしまうし、歩みにつながらないでいるのも、自然なこと。

ことばは、飾りじゃ無い。まず発信している己に響かないことばは、単なる音に終わる。己に意味のなさないことばは、他者に届かない。
「どうすれば、平和への歩みすすめられるのか」の、私の応えである。

「カウンセリング」と名付けられた、カウンセリング学習会に通ってきておられる方々は、己の「平和」を求め、求めて、暑いときも寒いときも、感染症のときも、正しく怖れつつ、学び合っている。倦まず弛まずこの学びの継続こそが、まさに平和への歩みに他ならないのである。
おのずからコツコツ、重ねてこそ、己に平和とはが明らかに体得されねば、歩みにはなって往けないのでありましょう。
世界の平和を心から望んで、当センターでは学びが大事になっている。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

2021-08-04 08:34:02 | 私の声
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候  死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」このことばは、江戸時代に僧侶であった良寛さんのことばですね。
 良寛さんが71歳の時、住んでいた新潟県の三条に1500人以上の死者が出る大地震がおこり、子供を亡くしたある方に送った見舞い状にこの一文があったものです。

 この良寛さんのことばを知り、味わわせていただいて、私は東日本大震災の地を訪ね、被災した方々のお見舞いをさせていただいたのを、思い出されました。
 今、コロナウイルスの感染拡大に直面し、生活に影響がでてきていますが、そこから逃げようとしたり、ウイルスの怖さを軽視したりする行動が見受けられますね。そのどちらか一方を偏重するのではなく、どちらも見えて、今なっている自身のところが自身に鮮やかに観させていただけるか、でありましょう。
 まさに、災難・苦悩をのがるる妙法と、いわせていただきたいのです。
自分の声にして、自分のことばを聞いていただき、自分のことばに聞かせていただく人間(ひと)でありたい。
育まれ合いのみちのり、ともどもに。
当カウンセリング研修センターでは、育まれ合いのかかわりが展開されているのです。
個人的には満たされた、社会的には建設的な、あなた・わたしになるために。