新潟カウンセリング研修センター

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人間(にんげん)は声にして語れると、独りになれる

2023-02-26 08:57:58 | 私の声
 人間は声とともに誕生し、呼吸(ことば)とともに絶える。
呼吸(ことば)に生かされ、呼吸(ことば)に往生す。
そうであるが故に、ことばは、声は無意識に行われ続けられてきており、蔑ろにされている。声になってきたことばは、徒に使い捨てられている。言うまでもなく、使い捨てられている等思いやしない。ことばを換えると、そもそも「ことばが使い捨てられている」ということばが、その人間(ひと)に欠けているのである。

 「スッキリしました」「明るくなった」「よく見える」「はっきりした」「わぁっ・ダイナミックだ」「グレーンと変わった」等など、当センターに通い「育まれ合い」させていただいている方々に聞かせていただいている。
 
 日常会話では、起こらないできごとが起こる「カウンセリング学習」の関係である。
そこでの方々は、回を重ねるごとに、生き生きされ動けている。
もちろん、ますます若返らせていただいている私がいる。

 きっと、きっと、どなたもいのちに願われているに違いないのだが・・・
行動になるきっかけにならずじまいなのであろう。
いのちは、絶えず願い続けている。願いがあなたに届くときを。
いのちの時間は限られている。他人事と片付け切れずにいる私がいる。

「鬼は外・福は内」

2023-02-10 13:36:06 | 私の声
 過日2月3日は節分でした。
テレビの画面には各地で行っている「鬼は外・福は内」と言い豆などを蒔き、鬼の装束をした者がマ舞い、それを取り巻く者との場面が映し出していた。毎年チャンネルを変えても同様に。
小学校低学年や保育園などでは、行事化しているから当然のようにして行っていると、私には見える。
小さい子ども達に、書かせたり答えさせたりしているのを見聞きして、深く憂慮するばかりである。「何鬼を退治したいですか?」「面倒くさがり鬼」「怠け鬼です」「忘れ物鬼」等などと言わせる。
子ども達になにを学ばせようとしているのか。
退治できると思っている者の思考だ。疑えない者ゆえ、子ども達は不幸に!。
教育も日常の関わりも、錯覚の上に。時間も経費も無駄になるばかりか、歪んだ思考に苦しむこと必定。
「鬼は外・福は内」のことばの相(すがた)に聞かせていただき、味わったその人のことばで言える必要がある。その人自身に意味がなければ空しいではないか。
「鬼は外・福は内」のことばとともに、豆まきをする、形に意味をいただくのはその人自身だ。
貴方次第で大事にならせていただけるのである。
人間の成長に関わる根本のところだ。