新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

人間(ひと)の奥深さ・おもしろさ

2013-08-31 08:07:07 | 私の声
 考えるな! 考えないでいいんだよ、と聞いて、考えないで済めるものなら苦労は要らなくなるであろう。悩まずに済むであろう。そうはいかないところに、奥深さ・おもしろさが感じられている。「考えている」という自覚のないまんまに、考えちゃっているのだから、奥深き人間にならせていただけるための宝(種)は、無い人間はいないのだ。「考えさせていただける」奥深き人間(ひと)にならせていただける道は、すでにどの人間にもどの人間にも、用意されているのです。見えなくてもあるんだよ!

考える必要はなかったのだ

2013-08-30 07:20:04 | 私の声
 考える必要はなかったのだ。このことが、この身に然(しか)と知らしめられたのは、学んで学べて学ばせていただけた長い年月を要したのです。「カウンセリング」との値遇(であ)いがあってこそ。一口にカウンセリングと言っても、「師」との値遇いです。無意識に考えてしまっている私に、都度都度優しくも厳しい手を、差しのべていただいてきたお陰様なのです。「太初にことばあり」ことばが、自ずと考えるのです。声にして、ことばに考えさせていただけるのです。心身が楽しめております。

山桜

2013-08-29 11:35:47 | 私の声
 「言葉こそ第一なのだ。意は二の次である」と。「本居宣長」で日本文学大賞、文化勲章を受章の小林秀雄氏のことばである。このことばに、感動の日々を送らせていただけている身。その彼は山桜を愛でていたと聞く。小林秀雄氏を通して学ばせていただいた、本居宣長のお墓を訪ねたとき、遺言されていたという山桜がお墓に、寄り添うように。すれ違いができない細い山道を経た、小高い丘の中腹にあった。この度我が家の庭の真ん中に、山桜をドンと据えて、来春山桜花に愛でさせていただきたいと、猛暑を乗り切ったのだが。今朝は見上げる枝に、これまで茂っていた葉がなくなっているではないか。目に入ってきたものは、鈴なりになっている人の手指大の毛虫達。ショック!

学びの楽しみが分かち合える場「カウンセリング」

2013-08-28 06:45:08 | 私の声
 まず、足を運ぶ。そして、声にしてみる。ことばの相(すがた)になる。そこが手がかりになるのです。あなたが、あなたとして、活き活きと生かされていけるようになるための。ことばはいのちです。いのちはことばです。ことばが、手段に終始している現代人の不幸は、ここに起因しているといえましょう。思い立ちは事を成就する。思い立てたあなたの学びの場は、常に開かれております。新潟カウンセリング研修センター℡025-230-5320

「分かってしまわないでください」

2013-08-27 06:24:09 | 私の声
 他者の死亡が報じられると、特に多くの人々に知られている方の場合、故人についてそれぞれに、ことばにしている場面を目に耳にする。私にとどけられてくることばは、今は亡き恩師のことばだ。「分かってしまわないでください」
 「あの人は・・・」と、言っている(思っている)その人そのものなのだ。このように聞けている人は、極めて少ないであろう。亡くなったその人に、「今ここ」に聞かせていただくしか、触れさせていただく手はないのだから。「あの人は・・・」では、その故人も言っているその人も、ともどもに救われやしない。