新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

迷う・苦しむひとになれない不幸

2017-08-25 08:51:28 | 私の声
 ほとんどのひとは、迷い・苦しみのなかに生きていると言っていい。しかし、その自分を何とかしたいと、切実にならないようだ。頭でごまかす術に終始している。そうしているとも自覚がないままに生かされている。気にしないようにしているつもりらしいが、生身は逃れ切れるようには、できてはいない。身にため込まれたことばが、やがては光に当たりたがる。知らず知らずため込まれたことばは、やがて生活に支障になって表れる。ことばが光に当たりたがったとき、もう一人の独りの人間に値遇(であ)う必要がある。このご縁に恵まれるかどうかだ。救われるひとと救われないままになるひとが興るのは。訪ねるひとの考えはさておき、カウンセラーと名乗っているひとの実力にひとえに関わるところである。自分はもう分かっていると思っているひとは、カウンセラー失格だ。その人のことばに光が当たり、そのひと自身に鮮やかに顕かになる、お手伝いができる私になれればと念じ続けている。一生かかる学びの歩み。そのひとのいま・ここに届けられたことばが、そのひと自身に顕かに見えた瞬間、新しい自分が誕生する。その関わりになってくださった人間を、カウンセラーと呼んでいる。学歴や知識の有無や肩書は必要ではない。8/28(月)ことばに光を当てる集いを当センターで開催→問い合わせ先025-230-5320へ。

あなたは幸せになれるようになっている

2017-08-21 10:22:02 | 私の声
 どなたも・どなたも、幸せになれるようになっている。自分に信じられるかどうかだ。信じようとして信じられるものではない。信じられる自分になれるには?。最も簡単にできるものは、ことばに聞かせていただくのである。そうすれば、おのずから、信じさせていただけるようになるのである。理屈ではない。体験的にいえる。ことばは具わっているし、いつでもどこでも力みがいらないのだから。幸せにならせていただくためには、もう一人の独りの人間(ひと)が絶対に必要。もう一人の人間とこの人間が全く違うと言うことを、心底納得させていただけるために。生身と生身が肉声でことばに聞かせていただける学びをしよう。教育に携わるもの政治に携わるものに、欠落している。教育も世界も破壊の方向に向かっているではないか。

「カウンセリング」が陥っているところ    目覚めよ!

2017-08-18 06:15:04 | 私の声
 情報化時代の昨今は、日常「カウンセリング」と言う言葉を見たり聞いたりすることが実に多い。なんのカウンセリング?と言う人も珍しくない。カウンセリングを受けたいと思い立ったとき、料金が決め手になっているようだ。うなづける。それ以外選びようがないであろうから。長年カウンセリングに学ばせていただいてきて、私の出会った師で有難かったと今しみじみ想う。奥深さと限りなさが、カウンセリングのいのちなのだから。しかし、行き詰まり苦しみに耐えられないような身になっているとき、カウンセリングと名付けられているものに、違いがあろうとは全く分かるはずもない。やってみて気づかせていただいたカウンセリングとはの意味。単なる方法・知識・観念に陥ったまま、その陥っているわが身のところに気付けずにやっているカウンセリングのなんと多いことか。そこでは人間は育まれやしない。その方法から抜け出せる人間は、徹底してやってみて限界に実感させていただけたときだ。実感になったら道はおのずと開かれてゆける。方法・手段に終始しているところで関わられては、失礼だ。意図的に関わられて人間は、救われてゆけないようになっている。そこに気付かせていただけたのは、その人間であった。その人間を、師・カウンセラーと私は呼んでいる。

声に宿されている用(はたら)き  現代人は著しくおろそかにしてきている

2017-08-14 08:48:51 | 私の声
 人は声を発することができるように、この世に生を受けてきている。声の出し方を教えられずして、声とともに誕生してきた。自分の場合は知る由もないが、そう言える。呼吸の仕方を教えられることなく、できてきているように。それゆえ声の用(はたら)きに注意もはらわずに、声にしたりしなかったりの生活をしてきていた。ところがこの身の都合の良し悪しで、声にしてきていたことを想ったとき、愚かさに気付かせていただいた。声にしてこの私のいま・ここが顕かになり、私の道にならせていただき続けられる体験・・・ことばはこの身に無尽蔵に宿されている。聞こえてきたきたことばを声にして、聞かせていただけるいとなみを、これまでも・いまも・これからも。独りにならせていただけるには、もう一人の独りの人間が絶対に必要だった・必要なんだ、と。全く別の独りと全く別の独りが、通じ合える実感がいただける学びを、カウンセリングと言いたい。

人間(にんげん)と書いて、どうして人(ひと)と言うのかなぁ

2017-08-10 08:41:49 | 私の声
「人間と書いてどうして、人と言うのかなぁ」は、カウンセリング研修会の場で聞かせていただいた言葉だ。日常の生活では、ふっと言葉に立ち止まり声にして、聞いていただくという場面はほとんどない。想えばここまで私が活き活きと、生かさせていただけるように、育まれてきたのは、人と人との関係にだ。一人ではかけがえのない独りにならせては、いただけなかった。「間」は関係であり・はたらきなのだ。はたらきは、機能と置き換えることができる。ロジャーズは「十分に機能する人間」と言う言葉で伝えてくれている。「十分に機能する人間は、心理的自由な関係で育つ」と。まさしくカウンセリング関係を指さしているのでしょう。