新潟カウンセリング研修センター

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どうしていいか分からない

2020-01-24 14:09:48 | 私の声
 「どうしていいか分からない」と言う言葉がやってくるときがある。決して快いものではない。この快くない「どうしていいか分からない」に迎えられたら、どうぞ大事になってほしい。なにごとも無いかのように、振舞ってしまったら元の木阿弥だ。自分を尋ねさせていただくチャンスが失われるのだ。「どうしていいか分からないの」と声にして聞いていただいてほしい。私に聞かせてほしい。眼の前に広く明るい道が開かれる。生活が能動的になれる。
学校に勤務して間もなく、いわゆる不登校の生徒に接して「どうしていいか分からなく」なって、カウンセリングに出会えた。声にして思いがけなく私の前に希望の道が開かれ続けられ、今日まで歩ませていただいてきている。「どうしていいか分からない」の言葉に、広く果てしない、そして奥深い人生を味わわせていただいてきている。

聞けるようになりたい

2020-01-13 08:06:52 | 私の声
 「聞けるようになりたい」と言う言葉をよく聞く。
今、教育委員会の施設で生涯教育として、カウンセリングに学ぶ「カウンセリング楽習会『語らい』」を発足し、定期的に開催しているところである。発足に当たり希望者の動機を聞かせていただき、「人の話を聞けるようになりたい」を志していらっしゃった方が少なくなかった。「聞かせていただけるようになる」に改めて留まってみた。
まず、「聞いている(聞く)」「聞こえてきた(聞こえる)」「聞かせていただいた(聞かせていただく)」がある。この言葉の無い人には、区別がない。従って、今自分が「聞いている」になっていない。「聞いている」が顕かにならせていただけたら、この身の生きざまがこれまでとは一変する。
そして、「聞く」と言っているところは、この身がどうなっているんだろう。自分の身に関心が向けられると、気づきが起きやすくなる。人間は多くの動物のなかで、唯一気づかせていただけるらしい。
一人では気づきになれない。声にして聞いていただけるもう一人の独りの人がどうしても必要。関係に育まれ合いが起こる。自分とは全く異なるもう一人の人がいてくださって、育まれ合いをさせていただいている。聞き合えなかったときこそ、気づかせていただいてきた。