新潟カウンセリング研修センター

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違い!?

2018-11-23 11:36:42 | 私の声
 過日学習会でご一緒した方から電話が届いた。「私は○○○のように思ったんだけど、私の思ったものと同じか違うか確認したくて電話したの、これまで自分の思いを言ってみると、違っていたものだから」と。そして、私の言葉を聞いた、ご自分の思ったところを伝えてくださったのだった。ここまで聞かせていただき、十分嬉しくなっていた。そこで、「あなたは○○○に思ったのね、私はね○○○だったの」と伝えさせていただき、さらに嬉しくなっていた。このような関わりは日常無い。それぞれが言い放ち合いだ。どお聞いた自分なのか、聞いた自分が自分で分からずじまいで済ませている。こう聞いたと声にすることがない。聞かれた方も、どう聞かれたか確かめることもしない。そして勝手に聞き合い、誤解だとか、分かってもらいたいだとか、文句を言っている。人は二人として同じはない。そこでこそ、かけがいがないと言えるのだから、どお聞いたか伝え、それで違わないかとその方に確かめる他はない。そのうえで、自分の思いを聞いていただけるのだ。違いが明確になり、慶び・安心・温かさが分かち合える。電話にいただけた「感謝」だった。違っているのが大前提なのだ。この大前提が一人ひとりに自覚がないところで、人間関係の悲劇は絶えない。人類が危ない。学校教育が危ない。

感動!!!

2018-11-12 07:03:58 | 私の声
過日近くの歯科医院に出かけた。治療をしていただくために。しばらく前からその必要を感じながら、なかなか足が向かわずにいた。今日というときがきた。受付にかかると、どうやら予約が必要だったことを知った。知らずに来てしまったと伝えると、治療をしていただけた。間もなくして名前を呼ばれ、指定された椅子に身を横たえると、体に力が入った。「とても怖いんです」と、声になっていた。声になったら力が抜ける感じがいただけた。「怖いねぇ」「大丈夫だよ」と、男性のドクターの声が聞こえた。思いがけないもう一人の独りの人(そのドクター)のことばに、歯の治療にとどまらず感動にならせていただけた。そのドクターの顔を見たくなった。見させていただき名前も確かめていた。総合病院の中にある歯科だから、ドクターも一人ではないので、治療だけしていただけば、どの方にしていただいてもいいのだったが。あの先生は優しいいんです、と私に伝えたスタッフ。私が感動なったところは、まず私の「怖い」を聞いてくださり声にして届けていただいた点、その後で「大丈夫ですよ」とご自分のところを伝えてくださっていたところだ。そして、治療をしていただいている合間に、している私のため息の吐く音も聞いていてくださっていたのだ。その作法は、知っていてもならない、知らなくてなっている、優しいと感じているだけでは、他者にはできないと、思わせていただいていた。

「人はみんな聞いてほしんだよね」

2018-11-03 08:18:41 | 私の声
 私を訪ねてきたAさんに聞いたことばである。私は深くうなずいていた。聞いてくださった人間(ひと)に・聞いていただけた実感に値遇(であ)えないまま、おおかたの人は肉体は滅んでいっている。生きている間、人と人は言っている関係・言い合っている関係に気付けないまま、ひずみに苦しみ悩んでいる。ともどもに楽に歩める道は、どの人にもすでに用意されているのだが。肉眼には見えずとも確かに在った。在った と言うのは、倦まず弛まず学び続けていたら、おのずから見えてきた。継続が必要11!。なんだか分からないまんま学び続けられる人に、訪れる幸せだ。学びに優る慶びはなし。ともどもに幸せにならせていただける学び「カウンセリング」